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極真を学ばれる方へ

創始者である大山倍達総裁の武人・宮本武蔵への限りない憧憬が、極真空手の原点です。
その「空手バカ一代」と呼ばれた武者修行の世界は、プロではとても算盤にあわない、アマチュアリズムでしかできないコンセプトでした。
夢と理想の世界は、商売の世界では間尺に合わないからこそ、男のロマンに変わったのです。
また学習塾では絶対に教えない「武道教育」をしたからこそ、今日の極真会館の成功があったといえましょう。
日本の空手を世界に広めたのは、極真空手創始者・大山倍達総裁でした。
極真会館は、その遺志を継承し、「青少年健全育成」「社会貢献」「国際交流」を掲げて、活動をしています。
武によってつくりあげられた日本人固有の精神文化、高貴な香をはなつ精神文化、道義感の復活再生を目指し、武道空手を通した人づくりに邁進しています。
道場で学ぶこと。
  1. 稽古着の着方、帯の結び方、稽古着のたたみ方を覚えます。
  2. 道場への出入りの仕方、道場での作法を覚えます。
  3. 先輩・後輩への礼儀(挨拶・返事、礼の仕方、言葉遣い)等を覚えます。
  4. 稽古後は、清掃と後片付け、戸締りをします。
  5. 「極真会館道場訓」を暗唱し、実践します。
  6. 常に「上達(発展と完成)」を目指して、日々の稽古に創意工夫と努力精進します。
  7. 「極真精神」「押忍」「八風吹不動」の精神を理解します。
  8. 指導者及び父兄は、「ほめ方」「叱り方」「教え方」に精通して、人を育てます。
  9. 怪我のない安全かつ合理的な稽古に努めます。
  10. 救命・救急時の応急処置に精通して、怪我の後も回復に努めます。
「武道」は、人間性を育てる最高の基礎教育、人間としての基本です。躾(しつけ)については、道場内ばかりでなく、日常生活も含めて大切なことです。
「躾」とは、自分自身を「型」という枠にはめることで、自分自身の生来の癖でない新たな自分を創り出す役割があります。それを「身に付いた」「○○が身に付いた」といいます。
型とは、「自分自身を文化的な人にする」大きな世界観を持ち込めるものです。街を歩く無思想で無秩序な人から、「極真空手」という世界に通用する思想と秩序を持った人格に生まれ変わったということです。だから、当然誰の目にも凛々しく美しく映るのです。
「躾」という型は、単純な身体運動ではありません。所作や行儀作法は、極真空手という日常が作り出す、心の現われであり、空手という歴史を持った社会からの刺激が創り出す感性の現れだと理解できます。
型を拡大すれば、「押忍」というのも一つの型であり、固有の文化です。
「躾」という枠でがんじがらめに縛られるということは、不自由になったわけではありません。
枠がないというのは、帰属する世界がない、社会がないということです。むしろ、自分を縛る枠があるからこそ、自由を感じられるのです。それは、「俳句」等の世界にも通じるものです。
極真空手は、武道空手です。スポーツの本質は、自分や他人が楽しむ為の遊びです。
武道は、自分の大切な人を守り、自分の大切な人に優しくする為に、自分に厳しく自分を強くする難行・苦行の道です。この違いをしっかりと理解して下さい。
「人は強くなければ生きられない。しかし優しくなければ生きる資格が無い」と言われるように、真の強さに裏付けられた本物の優しさを修行によって身に付けるように心がけます。
強くなるのは優しくなる為であり、強くなるほど優しくなることが、極真空手修行の目標なのです。
人間が生きてゆく際に、「強さ」と「美しさ」が必要です。日本的な強さと美しさとは、何でしょうか。
日本には、古い伝統を持つ日本独自の品性、美学が受け継がれて来ました。
日本人は、様々な人間の集団の中で相手に最も心のこもった接し方をしようと努めてきました。
このことが日本独自の礼儀、作法を育てていきました。そして、それを身に付けた日本人にある種の品性を持たせました。
日本人が好む、「義理」「人情」「粋」などの概念は、「日本的合理性」の一部を形作るものです。
この品性は、誰にもわかりやすく、うけいれやすいものです。
日本の伝統的な習い事には、「型」がつきものです。空手も、相手に対する一礼から始まります。
試合前の一礼の習慣を身に付けることを通じて、相手をいたわる心や相手の技を敬う心を覚えていきます。
このような日本人の心、日本の美意識を理解することは、武道の根底にあるサムライの心を理解することに繋がると思います。
日本人はもとより「見た目」より、「人の気持ちを読むように」という考えを重んじてきました。
自分の主張を控えて「人の話を相手の気持ちになって聞ける」者が、「人情のわかる立派な人物」とされてきました。
「言わぬが花」という言葉があります。余分なことを語らぬことが、美しいふるまいとする考え方です。言葉を控えることは、相手に対する気遣いでもありました。
相手の悪口や誰かの陰口を言う人間は、汚ならしいという考えも作られました。
「遠まわし」に、相手の欠点を口に出さずにわからせることが優しさとされました。
日本には、詫びるべきときには潔く謝り、誰かを褒めるべきときには素直に褒めるのが良いとする美意識があります。
勝負に敗れた者が「まいりました」と言った後、「お見事な腕前、感服しました」と褒めるのは清々しいですが、悔し紛れに相手を非難したり、何も言わずに不貞腐れているのは見苦しい行為です。
【江戸しぐさ】
「江戸しぐさ」は、日本における江戸期の商人の生活哲学・商人道です。
江戸商人は、日本全国から集まった多様な身分、立場の者を相手に商売を行っていました。
当時の江戸は、武士50万人、町民50万人の合わせて100万人の大都市で、世界有数の人口密度でした。同じ人口ながら、武士の居住区は75%、町民の居住区15%であったそうです。
しぐさは、「ふ草」ではなく「思草」と表記します。もともと「(あきんど)しぐさ」、「繁盛しぐさ」といわれ、多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたといいます。
そういった中で作られ、お客様とよい関係を築き、保つための知恵でした。
「自分にとって気持ちの良いこと。それをしてもらった人が気持ちよくなること。はたで見ている者も気持ちよくなること」が江戸しぐさです。
それによって誰もが笑顔で暮らせる町になる。そのような住み心地のよい町をつくることが、自分の幸せにつながると考えました。
「自分さえ良ければ周囲はどうでも良い」という、一人よがりの考えを持つものは少なく、そういう者には必ず悪い報いがくるとされていました。
「困った人をみれば助けるのが当然だ。良いことをすれば、いつか良い報いがくる」と考えられていて、全ての人に幸福になって欲しいという気持ちが、「粋(いき)」の文化を生み、「江戸しぐさ」をつくりだしたのです。
基本には、「嘘をついてはならない」「あいさつをしなさい」「行儀よくしなさい」「物を粗末にするな」「約束は必ず守れ」といった子供が家庭の躾で学んだものがあります。
わかりやすく、理屈抜きで守らねばならぬ「型」です。
こういったものを踏まえて、「挨拶のしかた」「道の譲り方」といった個々の動作を「型」として体で覚えていきました。これによって、誰もが考える前に、一瞬で粋な動きをするようになったわけです。
「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」
「三歳までに素直な心を、6歳になるとその振る舞いに節度をもたせ、9歳では人様の前でも恥ずかしくない言葉遣いを覚えさせ、12歳ではきちんとした文章が書けるようにさせ、15歳にもなると物の道理がわかるようにしなければならない」というもので、現代にも通用する教育論です。
「お心肥やし」
江戸っ子は教養豊かでなければならないということをこう呼びました。ここでいう教養とは、読み書き算盤のほか、人格を磨く事が何よりも大切なのだという意味合いが強く込められています。
「打てば響く」
江戸っ子はすばやく対応することを身上としました。当意即妙の掛け合い、初対面で相手を見抜く眼力など、その切れ味が真骨頂とされました。
「三脱の教え」
初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルールがありました。これなどは身分制度を全く意識させない教えであり、相手を思いやる心と、人を肩書きだけでは判断しないという、何事にも捉われない意気込みがみてとれます。
「時泥棒」
江戸城の時計は一分の狂いもない正確なものでした。このため、幕府に仕えている武士ばかりではなく、商人たちも時間には厳しかったのです。
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪にあたりました。現代でもまったく、同じことですが、都会人のマナーというべきです。
「はいはい」
物事を頼まれた時の返事は「はい」の一言でよい。一人前の大人に返事を繰り返すことは、目上の人に向かって念をおす行為と受けとられ、してはならない失礼とされていました。
「うかつあやまり」
たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保ちます。
「傘かしげ」
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うことです。
「肩引き」
狭い往来をすれ違う時など、ちょっと会釈をし、左肩を路肩に寄せて歩くことです。
「七三の道」
道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は他の人のためにあけておくことです。
「こぶし腰浮かせ」
乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ることです。ちょっとしたエチケットのことをいいました。こんな素振りも粋にみえます。
「指きりげんまん、死んだらごめん」
人間の約束は必ず守るとされました。たとえ文章化されていない口約束でも絶対に守りました。
「死んだらごめん」とは命にかけて約束を守るということです。
【躾の三原則】
[挨拶・返事・あとしまつ]
【挨拶について】
日常会話の中でも頻繁に使う言葉である「挨拶(あいさつ)」。この言葉は、実は禅語です。
「挨」は積極的に迫ること。「拶」は切り込んでいくことを意味します。ですから、「挨拶」というのは、お互いに積極的に身をすり合わせることを意味するのです。
「地域の連帯の希薄化」が言われるようになって久しいですが、最近は、それに拍車をかけるように、「個人情報」の問題が言われるようになり、お互いにプライベートまで詮索し合わないという傾向が、ますます強くなってきているように感じます。
そんな中で、今後もますます「隣人の顔を知らない。」とか「隣人と話したことがない」という人が増えてくることが予想できます。そのため、その人に出会っても、お互いに挨拶をすることがありません。
たぶん近所の方だろうと思って、挨拶をしようとするのですが、何となくためらってしまうのです。たとえ、近所の人でも、顔を知らなければ、なかなか挨拶をするのは難しいと思います。
しかし、時々、こんなことがあります。私は相手のことを存じ上げていないのに、相手から挨拶をしていただくことがあるのです。
見ず知らずの人に声をかけていただくと、とても気持ちが晴れ晴れするものです。「あ、この方は、自分のことを、知っていて、ちゃんと見てくれている。」そう感じるからです。
挨拶という行為には、相手が自分の存在をちゃんと認めているという意味合いがあることを強く感じるのです。自分から声をかけて、積極的に関係を作っていくことが「挨拶」ということです。
とは言え、実際に、見ず知らずの人に声をかけにくいという矛盾も、そこには含まれています。
挨拶をしたら、相手の心が和むならば、どんなときでも、自分から進んで挨拶をして、相手の心を和ませてみようではありませんか。これは挨拶に限ったことではありません。
人間には誰しも「苦手な人」がいます。この場合、たいてい、相手も自分を苦手だと感じているものです。そんな時、自分の方から、相手の苦手意識をなくしてみるのです。
相手の悪いところばかり見るから、相手が苦手になるのであって、逆に、相手のいいところを探そうとすれば、相手への苦手意識がなくなっていくのです。
そうしているうちに、相手への接し方が変わります。今まで、話そうともしなかった相手と、だんだん会話が増え、自然と歩み寄っているのです。そして、相手が自分に行為を示し始めるのです。
要するに、何ごとも相手に変化を求めるのではなく、自らが変化することが大切なのです。自らがマイナスの方向に向いていれば、相手だってマイナスを指し示します。プラスに転じれば、自然とプラスになるのです。
自ら常にプラスに転じる。「挨拶」という禅語には、そんな意味が含まれているのです。
そして、挨拶がしっかりできる人同士の関係は、とても良好です。
集団であっても同じです。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」がしっかり言える店員さんのお店に行ったら、気持ちが和みます。それと同じです。
まずは、自分の周囲の人にしっかり挨拶を行うことから、始めてみましょう。
【挨拶】
自分から相手に声を掛けることが、「勇気」を出す訓練になります。
  1. 「押忍」
  2. 「おはようございます」
  3. 「こんにちは」
  4. 「こんばんは」
  5. 「いただきます」
  6. 「ごちそうさまでした」
  7. 「いってきます」
  8. 「いってらっしゃい」
  9. 「ただいま」
  10. 「おかえりなさい」
  11. 「おやすみなさい」
【返事】
きちっとした返事をすることが、「自信」を持つ訓練になります。
  1. 「押忍」
  2. 「はい」
  3. 「いいえ」
  4. 「お願いします」
  5. 「失礼します」
  6. 「ありがとうございました」
  7. 「すみませんでした」
【あとしまつ】
自分の事は自分があとしまつする「責任感」を養成する訓練になります。
  1. 脱いだはきものを揃える
  2. 食べたら食器をかたずけて洗う
  3. ごみはごみ箱に捨てる
  4. 掃除をする
  5. 使ったものは使ったあとかたずける
  6. 帰りの後片付けを手伝う
【親孝行】
「孝を原点として他を益する」という極真精神の原点です。親への感謝が、他人へ感謝と共存・共栄精神に繋がります。」
「今すぐできる親孝行」としては、
  1. 怪我や病気をせず、いつも明るく元気な姿を親にみせること。
  2. 大きい声・元気な声で「あいさつ・返事」のできる子になること。
  3. 常にすすんで「あとしまつ」のできる子になること。
  4. 勉強やスポーツなどに、一生懸命取り組むこと。
「将来の親孝行」としては、
  1. 親より早く死なないこと。
  2. 自立した立派な社会人となること。
  3. 仕事を通して人の役に立つこと。
  4. 親に恩返しのできる人になること。
  5. 親を衣・食・住にわたって不自由させないこと。
【極真会館の礼儀作法】
★1.礼法
武道の稽古は、「礼に始まり、礼に終わる」と言われるように、礼節は空手を学ぶ者にとって非常に大切なものです。相手を敬う心を礼の中に表します。
同時に、武道である以上、礼の中に隙を作ってはいけません。いつでも戦う姿勢が取れるよう、視線を真直ぐ前に取ることも大切です。
空手道の挨拶で使われる「押忍」には、尊敬・感謝・忍耐という意味があります。心身を練磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる空手の修行が、社会生活や人間関係にも生かされると信じます。
詳細は、「押忍」のコンテンツを参照して下さい。
極真空手は武道であり、稽古においても常に実戦を心掛け、心に隙のないように鍛錬します。
「押忍」の挨拶の際には、耳横から両拳で肩甲骨を動かして大きく十字を切る動作が入りますが、これは「前払い」という護身の一つのテクニックです。
正面で素早く十字を切ることによって、弱点である鳩尾に飛んでくるものや真直ぐ突いて来るものから防御できます。胸倉を掴まれた場合には、十字を切って振り解きます。
日本古来の思想には、人間と人間の間には見えない糸があります。「運命の赤い糸」等はよく言われます。それを断ち切って、戦闘状態に入ったという意志表示の現れでもあります。
相撲取りが人の前をとおるときに手をかざすのも、つながっている糸の前をお邪魔して通りますというマナーです。心理学的には「パーソナルスペース」とも呼びます。
同時に息吹をかざして邪気を払うということも行っています。また戦いが終わって、また十字を切るのは、結界を解いたという合図にもなります。
「座礼」の仕方
  1. 両足親指が軽く触れる状態で、両膝の間を拳2つ分空けて正座します。正面を見て、首を後ろに固定して、背筋を伸ばします。肩の力を抜き、肘を張らず、両拳は大腿付根に置きます。
  2. 口を閉じて、鼻で呼吸します。両拳を膝前(拳1つ分)に置き、正面を見たまま、脇を締めて背筋を伸ばし,上体を45度前に傾けます。「押忍」と言います。一呼吸して、もとの姿勢に戻ります。
「立礼」の仕方
  1. 正面を見て、首を後ろに固定して背筋を伸ばして不動立ちします。肩の力を抜き、肘を張らず脇を軽く締めて、両拳は腰前に構えます。口を閉じて、鼻で呼吸します。
  2. 両腕を交差させ、両拳を耳横に置きます。十字を切って拳を腰前まで振り下ろしながら、脇を締めたまま、背筋を伸ばして上体を45度前に傾けて、「押忍」と言います。一呼吸して、もとの姿勢に戻ります。
  • 道場での挨拶や返事は、「はい」ではなく、腹から声を出して「押忍(オス)」と言います。
  • 自分から「押忍」と挨拶する際は、きちんと立ち止まってから「押忍」と言います。
  • 何かをしながら、挨拶しないように注意します。
  • 荷物やかばんを持っている時は、原則としてそれらを足元に置いてから、きちんと挨拶します。
  • 道場の出入りには、腹から声を出して、正面に向かって「押忍」と立礼します。
  • 自分が座っている時に、師範・先生・先輩が来られたら、立ち上がって「押忍」と挨拶します。
  • 師範・先生・先輩が帰られる時は、立ち上がって「押忍、失礼します」と挨拶します。
  • 自分より段位・級位が上の人に出会ったら、必ず一人一人に自分から「押忍」と挨拶します。
  • 道場生同士も、お互いに「押忍」と挨拶します。
  • 帰宅時及び中座するときは、「押忍、失礼します」と挨拶します。
  • 父兄及び使用施設関係者や他の団体の方にも、挨拶や会釈を忘れないようにして下さい。
★2.呼び名、敬称、話し方
  • 自分より段位・級位が上の人に対しては、「僕・俺・私(わたし)」ではなく、「自分」または「私(わたくし)」と言います。
  • 初段および茶帯に対しては、「~先輩」と呼びます。
  • 弐段・参段・四段の黒帯に対しては、指導員であるなしにかかわらず、「~先生」と呼びます。
  • 五段以上の黒帯に対しては、「~師範」と呼びます。
  • 自分と同じ段位・級位の人は、「~さん」と呼びます。
  • 自分より段位・級位が上の人に対しては、年下でも「~先輩・~先生・~師範」と呼び、敬語で話します。
  • 自分より年配の人に対しては、段位・級位が自分より下でも「~さん」と敬語で話します。
  • 互いに、1歩ずつ譲りあう「目配り・気配り・心配り」と謙虚な言動を心がけて下さい。
★3.道場の作法
  • 道場に入る時は、靴・履物はきちんと反転して揃えて置くか、下駄箱に入れます。
  • 道場に入る時そして出る時には、正面に向かって「押忍」と挨拶します。
  • 稽古に遅れて参加する場合は、道場の所定の位置に一度後ろ向きに正座、黙想して待ちます。指導者の許可が出てから、正座のままで正面に向き直して、礼をします。
    「押忍、失礼します。」と大きな声で言ってから、最後列に入って稽古に加わります。
  • 指導者の許可が出てから、「押忍、失礼します」と大きな声で言って正座します。
  • 指導者の許可が出てから、「押忍、失礼します」と大きな声で言って正座から安座にします。
  • 早退する際も許可が出てから、「押忍、お先に失礼します」と大きな声で言って退座します。
  • 人の前を無遠慮に通過して歩きません。止む得ず通る際は、「失礼します」と声をかけます。
  • 勝手に場を離れたり、座ったり、立ったり、休んだりしてはいけません。指示に従って行動します。
  • 水分補給を除く、道場内での許可のない飲食を禁止します。
  • 合同稽古終了時には、必ず全員正座して道場訓を唱和します。
  • 使ったすべての物を所定の場所に戻して、あとしまつします。
  • 道場を掃除して、戸締りをします。
  • ゴミは各自で持ち帰ります。
  • 師範・先生・先輩と握手する時は、必ず両手で握手します。
  • 師範・先生・先輩から何かを受け取る時は、必ず両手で受け取ります。
  • 師範・先生・先輩に何かを渡す時は、必ず両手で渡します。
  • 師範・先生・先輩より下座に座り、出入りの際も先を譲ります。
  • 師範・先生の退座及び帰宅時は、姿が見えなくなるまで立って見送り、姿が消えたら「押忍」と大きな声で挨拶します。
★4.その他
  • 稽古着、所持品には必ず名前を記入しておき、忘れ物など無いように気を付けます。
  • 怪我や病気、出張などで稽古を休む場合、長期になりそうな際は必ず連絡して下さい。
  • 月謝、各種申込み手続き、物品販売などは必ず前払いです。滞納のないようにお願いします。
  • 生徒同士の金品貸借や公序良俗に反する行為は禁止します。
  • 道場に対する意見・要望については、稽古以外の時間にお願い致します。
  • 入門動機は様々ですが、稽古には真摯で前向きな気持ちを以って取り組んで下さい。
  • 行事や試合には可能な限り参加して下さい。お互いの交流を深めることにより絆が生まれます。
  • 昇級昇段審査は、向上心を以って、積極的に受験して下さい。
  • 師範・先生・先輩には、基本的に年賀状等を出します。宛て名は、原則として「~様」ではなく、「~師範・~先生・~先輩」とします。
  • 道場稽古での太鼓の叩き方語呂合わせで覚えるとよいです。
    「稽古開始」
    始まり・始まり・始まり・強くなれよ・強くなれよ・ドン・ドン・ドン・ド・ド・ド・ドドドドドド・ドン!
    「稽古終了」
    終り・終り・終り・早く帰れよ・早く帰れよ・ドン・ドン・ドン・ド・ド・ド・ドドドドドド・ドン!
★5.稽古中の見学者・父兄参観のルール
  • 所定の位置で静観します。ウロウロしたり、同伴の子供もウロウロさせないようにお願いします。
  • 稽古中の私語、雑談、稽古生への話し掛けを禁止します。
  • 稽古中の指導への口出し、横槍を禁止します。
  • その他、稽古の妨げになることは一切禁止します。
★6.少年部の「親の力」について
  • 親という字は、「木の上に立って見る」と書きます。子供の努力精進をじっとみつめて激励してあげることが大切です。毎回の参観は無理でも、早めに迎えに来て参観するとか、2回に1回は始めから最後まで参観するとかの努力をしてあげて下さい。
  • 少年部からの黒帯允許者及び大会入賞者は、皆「親の力」のお蔭で成果が出ています。
    子供を入門させたからには、最低黒帯允許されるまで、或いは成人するまでの10年以上に亘る親の協力と忍耐、愛情が必要です。
    長い期間には思春期、反抗期、倦怠期などいろいろありますが、親子共にも乗り越えて行かなければなりません。”武道共育”なのです。
  • 反抗期などには、子供から一時的に怨まれることもあるでしょうが、親が折れずに続けさせれば後にきっと感謝されます。親子ともに心折れれば、今までの時間が無駄になります。
    親の生き方が問われる時期です。「褒める・叱る・教える]で、親も子供と共に成長してください。
  • ぜひ大切なお子様に、よい仲間、よい環境、よい経験の場を整えてあげて下さい。すばらしい試合をみること、臆せず試合参加すること、すばらしい先輩の心技体をみること、仲間と共に汗を流して頑張ることがなにより大切です。
  • 試合参加・観戦、選手会参加、行事参加、出稽古、合宿参加審査受験などに、親子で積極的に楽しんで取り組んで下さい。
  • また、お子様の成長などでお悩み、ご相談などございましたら遠慮なくお話しして下さい。
★7.稽古について
稽古とは「古(いにしえ)を稽(かんがえ)る」ことです。絶対不変の真理を伝えるというものではなく、一言でいうならば《研究》することです。
先人が残したものを紐解きながら、真似る・学ぶことによって自分の心と身体に落とし込んでいきます。その中で身体で理解する、全身で理解することが稽古です。
技には《心》と《理論・哲学》があります。それを考えずにただ形だけ、ただ汗を流すだけ、ただ練習するだけではいけません。
稽古の理想形は、他者との比較ではなく《自分が自分を観る》ことです。
常に違う自分が自分を観ることです。それに照らして稽古していくことが自分を成長させます。
過去に囚われず未来をしっかり見据えて《今・瞬間》をどう生きるかが大切です。
稽古も《今・瞬間》を大切にすることが重要です。
先輩であろうとも、後輩から学ぶこともあります。そんなときは素直に学び取る姿勢が肝心です。学びながら自分の型にし、自分も後輩も伸ばしていくことが武道です。
自分を高めたいと思うことで、その思いが波及して周りを高めて行きます。
武士道は、日本的合理主義のひとつのあらわれです。
武士道精神の重要な要素の一つに、「弱者をいたわれ」という教えがあります。
武士は卑怯を最も嫌いました。強者が力ずくで弱者をやっつけることを卑怯な行為と考えました。
残心(ざんしん)とは、文字通り解釈すると、心が途切れないという意味です。
意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示します。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもあります。
だらしなくない事や気を抜かない事や卑怯でない事であり、裏を返せば「美しい所作」の継続ともいえます。相手のある場合において卑怯でない、驕らない、高ぶらない事や試合う相手がある事に感謝します。
どんな相手でも、相手があって初めて技術の向上が出来ることや、相手から自身が学べたり初心に帰る事など、相互扶助であるという認識を常に忘れない心の緊張が大切です。
  • わからないことは、師範・先生・先輩に率直に質問して下さい。
  • 習ったことは、必ず記録を取りましょう。記録の積み重ねが貴方の糧になります。
  • できないことは、そのままにしておかない。少しずつでも上達するように努力する。
  • 稽古中は、大きな声とキビキビした行動を心がけて、前向きに取り組んで下さい。
  • 道場生は稽古仲間です。相手を尊重することと思いやる事が大切です。怪我のない安全な稽古を心がけて下さい。
  • 体調不全な時は、生理的限界以上に無理する必要はありません。心理的限界と生理的限界は全く違います。不調時に稽古を中座する際は、必ず指導者に声をかけて下さい。
  • 怪我などをしている際は、稽古前に必ず指導者に声をかけて下さい。医学的に不適切なことはしなくてもかまいません。その代わりにできることを精一杯して下さい。
  • 怪我や体調不全などで稽古に参加できない時には「見取り稽古(見学)」で参加して下さい。
【主な稽古内容】
  • 空手で使用する立ち方
    不動立ち・三戦立ち・平行立ち・前屈立ち・後屈立ち・猫足立ち・鶴足立ち・四股立ち・騎馬立ち・内八字立ち・外八字立ち・閉塞立ち・結び立ち・掛け足立ち・双足立ち・組手立ち(自然体)など
  • 空手で使用する身体各部位
    正拳・裏拳・猿臂(肘)・手刀・弧拳・掌底・背刀・鉄槌・腕刀・刀峰・鶏口・貫手・一本貫手・親指一本拳・人差指一本拳・中指一本拳・平拳・小手・膝・脛・背足・中足・底足・足刀・踵など
  • 準備体操
  • 基礎稽古(身体操作法、呼吸法など)
  • 基本稽古(手技)
  • 三戦立ち
    正拳中段突き→正拳上段突き→正拳顎打ち→裏拳正面打ち→裏拳左右打ち→裏拳脾臓打ち→裏拳廻し打ち
  • 騎馬立ち
    正拳下突き→肘左右打ち→肘上げ打ち→肘下し打ち
  • 三戦立ち
    正拳上段受け→正拳中段外受け→正拳中段内受け→正拳下段払い→正拳内受け下段払い
    手刀顔面打ち→手刀鎖骨打ち→手刀鎖骨打込み→手刀内打ち→手刀脾臓打ち円形逆突き
  • 基本稽古(足技)
  • 不動立ち
    膝蹴り→金的蹴り→前蹴り→横蹴上げ→関節蹴り→横蹴り→後ろ蹴り→内廻し→外廻し→前蹴上げ→廻し蹴り
  • 呼吸法
    息吹き(陰陽の呼吸)→のがれの呼吸(表・裏)→手刀廻し受け(虎口)・弧拳顎打ち→外弧拳内掌底
  • 移動稽古
  • 前屈立ち
    追い突き・逆突き・3本突き・上段受け(逆突き)・中段外受け(逆突き)・中段内受け(逆突き)・下段払い(逆突き)等
    膝蹴り・金的蹴り・前蹴り・横蹴上げ・間接蹴り・横蹴り・後ろ蹴り・前蹴上げ・内廻し・外廻し・廻し蹴り・後ろ廻し蹴り・踵落とし等
  • 後屈立ち
    中段内受け(逆突き)・肘打ち・手刀廻し受け(双手突き)等
  • 騎馬立ち
    下段払い(逆突き)・肘打ち(裏拳・下段払い・逆突き)等
    横蹴上げ(前・後交差)・横蹴り(前・後交差)・掛け蹴り(前・後交差)等
  • 三戦立ち
    逆突き(内受け・裏拳・肘打ち・鉄槌)・息吹き等
  • 型の種類
    太極1・太極2・太極3・足技太極1・足技太極2・足技太極3・平安1(裏1)・平安2(裏2)・平安3(裏3)・平安4(裏4)・平安5(裏5)・安三・最破・突きの型・撃砕大・撃砕小・三戦・転掌・臥龍・十八・征遠鎮・観空・五十四歩
  • 組手の構え方、立ち方、突き方、受け方、蹴り方
  • 組手の攻防
  • ミットを用いた突き蹴りの強化
  • 約束組手
  • 限定組手
  • 自由組手
  • 鍛錬法
  • 整理体操
  • 締め(突き、蹴り)
  • 道場訓唱和
【組手稽古の3段階】
組手稽古には、3段階あります。ただ思い切り、何も考えずに我武者羅に組手稽古しても、うまくなるどころか、お互いに大怪我するばかりです。組手稽古の意味を考えて行って下さい。
  1. 「ぶつかり稽古」
    自分より段位・級位が上の人及び強者に対しては、胸を貸していただき、どんどん積極的に技を繰り出します。実力差があるので怖いでしょうが、勇気を以って真剣にぶつかっていきます。
    時には返し技などを貰ってしまうこともあるでしょうが、いい勉強をさせていただいたという謙虚な気持ちを持ちましょう。また、受け手に回って下さっている方への尊敬と感謝の気持ちを忘れてはなりません。>
  2. 「互角稽古」
    互角の帯、実力の者に対しては、お互いに思う存分に稽古できます。よきライバルに恵まれて、切磋琢磨努力精進すれば、お互いに実力も付きます。感謝と尊厳がなければなりません。
  3. 「受け稽古」
    自分より段位・級位が下の人、及び弱者に対しては、相手の実力を引き出してやる気持ちで受けの組手に回って相手します。傲慢な気持ちや自己満足で相手に大怪我をさせてはいけません。
    かといって決してヤラレ役ではありません。時には、ガードの甘さを指摘して、軽く技を入れて気付かせてやります。完全な受けと捌き、足捌き、カウンターのタイミングの稽古ができます。
    相手の顔面パンチなどが間違って入っても、それを笑って許してやれる「ゆとり」、いい技が入ったら褒めてやれる「優しさ」、攻撃を受けてやれるだけの心・技・体がなければ、とても不可能です。忍耐と尊厳が必要です。「受け稽古」の上手な先輩は尊敬されます。
【惻隠の心】
自然の心の延長線上に徳のすべてがあり、決して無理に押しつけられたり、後から教育されたものではありません。
さて、「惻隠の心は仁の端なり」ということを実社会の面で応用してみるとどういうことになるのでしょうか。「惻隠の心」とか「惻隠の情」という熟語は、難しい言葉のようですが、孟子の「性善説」とは別に「あわれみの心」という意味で広く常用されているようです。
「惻隠の心」は、いたましく同情する心ですが、相手の立場に立って、ものごとを感じとるという感覚上の自然の性格の発露でもあります。
夏目漱石の言葉ではありませんが、「可哀相とは、惚れたということよ」というように、愛という心情に結びつき「他人を愛する」という博愛の精神と同類型の心の動きと思われるからです。
社会生活を送る際にも、家庭生活を過ごすのにも、「愛の精神」が根幹にあって、大きくすべてを包んでいるようです。
この事情を孟子は充分知りぬいたうえで「同情心やあわれみの心」がすべての徳目の出発点であると断定したものと考えます。
キリスト教の中心の部分にも、「神は愛なり」という教条がありますが、われわれ日本人の心のなかには、愛という概念はなかなか捕らえにくく、実生活のなかではその考え方を生かしにくいようです。
大会において、よく言われることに「ガッツポーズ」の是非が問われます。
競技スポーツ、イベントとすれば、自然に発露されたならば別によいではないかという意見もあります。それでは、もはや空手は武道ではなく、格闘イベントに成り下がると思います。
極真空手創始者である大山倍達総裁は、「大会試合場でのガッツポーズ」を禁じました。これは、大相撲における日本武道の考え方と共通するものと思われます。
つまり、試合場に未だ敗者がいる前において、殊更に己の強さを晒すことは、惻隠の情からすれば恥じるべきこととされています。それが武士の情けです。
勝者は自分と戦ってくれた相手のことを惻隠の情から尊重します。敗者は自分の弱さを教えてくれた相手に対して、相手を称えて礼を述べます。
また、二人の試合の審判してくれた審判達への礼。見守ってくれた観客への礼。応援者してくれた仲間への礼が、試合における「礼」の意味です。
【気合】
声を出すことで,意識を集中させる効果が高まり、結果的に物事に効果が出るということが認められています。
つまり、大きな声で「気合」を出せない者は、出せる者より技のパワーが弱いと言えます。
誰よりも強くなりたかったら、大きな『気合』を出すことが、強さへの近道だと思います。
一般的に人が力を入れる時には息を止めて力むものですが、どんなに肺活量が大きくても息を止めたまま2分も3分も動き続けることは出来ません。
動き続けながらも力の入った技を繰り出すためには、技を出す瞬間に「息を吐く」ということが重要になってきます。
息を吐くから吸うこと、つまり「呼吸」が出来るのです。大きな声で気合を出すことによって無意識に呼吸を止めてしまうことを防いでいるのです。
「気合を出す」のは「大きな声を出す」事だと思っている人もいます。
ただ大きな声を出してさえいれば「気合」が入っているのだと思っている人がいますが、「気合」とは「気」の文字があることからわかるように、本来は精神的なものです。
気持ちをその事柄に集中させるために「気合」を掛けます。その集中している状態を「気合が入っている」といいます。
【空手の定義・点を中心として円を描き、直線はそれに付随する】
  • 空手の母体である中国拳法では「受けは優美に、攻めは鋭く」と言われます。創始者大山倍達総裁の数々の実戦の中から生み出された空手の定義です。
  • 廻し受け、後屈立ち手刀受け、円型逆突き、転掌掛け、回転移動稽古、平安裏などに現れています。また、突きや受けなどの個々の動作にも円の動きが内包されています。
【男子三日会わざれば刮目して見よ】
    (だんしみっかあわざればかつもくしてみよ)「刮目」は目を擦(こす)って良く見るということです。
  1. 男の子は三日も会わないでいると驚くほど成長しているものだという意味です。
    人の学業や仕事・人間性などがいかに向上したか、良く見なさいということです。
  2. 或いは、どのように成功・成就するかを注目して待ちなさいということです。
    類:刮目して待つ
出典:三国志の『呉書』★呂蒙伝」呂蒙(りょもう)が魯粛に言った言葉。参考:「呉下の阿蒙」
【空手道の理念について】
  • 空手道は、空手の理法の修練による人間形成の道です。空手道は、もともと敵を殺すために起こったものではなく、自分の身を守るために起こったものといわれています。武は「矛を止める」という意味があり、また「殺人剣にあらず、活人剣なり」といわれ、他人を活して自分も生きることが真の空手道であります。
    即ち空手道は精神と身体とを鍛錬するとともに人格を陶治し、人間として自己完成を目指す教養の目的をもっているのです。
  • 現代の空手道においては、教育としての空手道即ち競技としての空手道というところにその重要性を加えてきています。このような意味から空手道を通じ、必要な知識、技能の習得が出来るばかりでなく、人間的な面においても向上させることができます。
【守・破・離について】
  • 空手道において、修業の段階をいったものです。
    《守》初歩の段階で師の教えを忠実に守り、練習に励み、技や筋を練ることをいいます。
    《破》初歩を乗り越えて前進することをいいます。すなわち、今まで学んだ教えを自分のものにしなお進んでいろいろな方法を学び、その長所を取り入れ、守の段階では得られなかった
    新しい面を知りいっそう強力となることをいいます。
    《離》破以上になり、一流一派をあみ出し、考え出すまでになることをいうのであって、独自の境地を見出し、奥義を見極め、師から離れ、師以上になることをいいます。
  • 守破離についての詳細は、別コンテンツをご参照下さい。
【気位について】
  • 空手道における精神面の高さをいうものであり、見るものにひしひしと迫る気の充実を高い気位といいます。気の働きが、心を充実させ積極性をもりあげると同時に、身体のなめらかなで旺盛な働きをつくりだします。
【三節の礼について】
  • 神に対する礼、師に対する礼、同僚に対する礼といいます。空手道は礼に始まり礼に終わるとされているように礼儀を尊重しています。空手道の修業は、両者が全身全力を注いで秘術をつくすという闘争の間に行われるものですから、一歩あやまれば粗暴に流れることを戒め、精神修養の上から礼儀を尊ばなければなりません。
【空手道の四戒について】
  • 驚(きょう)、懼(く)、疑(ぎ)、惑(わく)の四つは、空手道において戒とされています。
    <驚(おどろく)>
    突然の出来事に心が動かされ、一時心身の活動が乱れて正常な判断や適正な処置を誤り、茫然自失してなす術のない状態をいいます。
    <懼(おそれる)>
    恐怖心のおこることで、こういう時に心身の活動が渋り、進退の自由を失う状態をいいます。
    <疑(うたがう)>
    相手の心や挙動を疑って見定めない心の状態で、自己の意志決定ができず、決断がつかないで体の自由を失い、相手の動作に応ずることができません。
    <惑(まどう)>
    心が疑うことで、心惑うときは、精神昏迷し、敏速な判断も軽快な動作もできません。
  • 空手道は、体力と技を練ることも大切ですが、精神的修養に努め、自分自身の心の持ち方を作ることが大切です。
  • 精神力は高めることができます。一つは体力の強化、もう一つは技の向上です。自信がつけば、情動のコントロールができます。但し、自信が自惚れになってはなりません。実力の向上と細心の注意を図ることで常に平常心を守ることができるのです。
  • 相手以上に練習量を重ね、体力差・実力差を練習量で補うことです。体力の向上と技の向上の掛け合わせで相手を上回らなければなりません。ただ、心の部分が本当に難しいと思います。
    心の情動的なものが弱い人にはメンタルトレーニングをするというような方法も必要でしょう。
【心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる】
  • 「20世紀の最大の発見は、電気でも蒸気機関車でもない。それは、人間は心を変えることによって運命を変えることができるということが分かったことだ」これは、アメリカの心理学者ウイリアム・ジェームスの言葉です。
【夢なき者理想なし。理想なき者目標なし。目標なき者実行なし。実行なき者成果なし。成果なき者喜びなし】
【明日の自分に約束しよう】
  1. 先に達成する「結果」を決める。「有言実行」で、それに向かうプロセスを楽しもう。
  2. 原因が結果をつくるのではなく、結果が原因をつくる。
  3. 達成するという「結果」が先にあれば、やるべき「原因」がすべて見えてくる。
  4. チャンスはつかむもの。夢は叶えるもの。思いの強さが全てを可能にする。
  5. 夢を見る。叶えようと決意する。その時すでにそれを手に入れている。
  6. できないと思うのは単なる錯覚である。出来るか出来ないかよりも、まず始める。
  7. 自分の未来を信じられるのも才能の一つである。やる気のある人にはかなわない。
  8. 全ての事を好きになる。1%の可能性に対して100%努力してみる。
  9. 分からないのは分かるまで続けないからである。学ぼうとする姿勢が大きくさせる。
  10. 失敗よりも、失敗したまま止めてしまうほうが問題である。
  11. 困難は乗り越えてこそ意義がある。乗り越えられない壁はやってこない。
【水五則】
  1. 自ら活動して他を動かしむるは水なり――他を指導する為には、自ら実践すべきである。
  2. つねに己れの進路を求めてやまざるは水なり――自らの進路をいつも求め続ける積極性を持つべきである。
  3. 障害にあって激しくその勢力を百倍し得るは水なり――少々障害に当たろうとも力を落としたり、落胆すべきではない。
  4. 自ら潔うして、他の汚濁あわせ容るる量あるは水なり――どんなものでも受け入れる大きな度量を持つべきである。
  5. 洋々として大海をみたし、発しては雲となり、雨雪に変じ、霧と化し、凝っては玲瓏(れいろう)たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり――何時でも、何処でも自分の信念だけは変えるべきでない。水の如くに生きれば、まさに禅の悟りに通じます。
【一期一会】
  • 紀元1860年3月3日、雪ふる江戸城桜田門外で水戸浪士等に襲撃を受け殺害されて46歳あったため、長い間、部屋住みの不遇時代を過ごします。しかし、その間も茶道に精進し、江戸幕府の大老職、井伊直弼よりも、石州流の茶人「宗観」として名を知られ、『一会集』を著わします。
  • その中の一節に、「そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり」。
  • たとえ同じ人に幾度会う事があっても、いま、この時の出会いは再び回って来ない、一生涯、ただ一度限りの出会いであるゆえ、一回一回の出会いを大切に命がけで臨まなければならないというのです。何も茶の湯だけではありません。私達の人生もまた然りです。
  • 思えば、出会いの連続が私達の毎日の人生です。父と母と兄弟と、妻と主人と子供と孫と友人と、同期と先輩、師範と後輩達と。否、人間だけではありません。犬や馬の動物、木や草の植物、この世に存在するすべての物との出会いです。たとえ毎日毎日の親子の仲でも夫婦の仲でもその出会いが、一期一会と合点出来たら、自分の在り方、他とのかかわり合い方が自然と今までとは違ってくるはずです。
    私達の人生、一期一会の連続です。戻っては来ません。あだやおろそかに過ごせましょうか。
    古いものをさっさと捨てていける心の切り替えのできる稽古をする。今腹を立てたけれどもすぐ横を向いて笑っておれる。こういう切り替えができるならば、そのまま仏です。
【武道と武術の違いは?】
  • 明治以前が、術(剣術・柔術・武術)、明治以降が道(剣道・柔道・武道)です。「武道」にはルールがありますが、「武術」にはルールがありません。
    武術は戦国の世に、命のやり取りを目的に発展したもので、その目的は少ない動きで最大の効果を挙げる。すなわち、効率のよい身体つかいの習得です。
  • 原始的に、戦場において剣・槍などが奪われたときに体術をもって対処できる身体つかい。
    剣術も柔術も共有した身体つかいが存在していたのです。
  • 武道はそれぞれ、剣道・柔道で身体のつかいかたが違います。武道にはルールがあって、それに即して身体つかいが出来上がっています。武術の最大の目的である効率良い身体つかいとは、身体の部位がそれぞれ自由自在に動かせることにあります。
  • では、格闘技は武術と何が違うのでしょうか。格闘技はヨーイドンの世界であって(武道に似ている)、武術はつながっているものだと思います。武術は一生続けられるもので、引退などはありません。身体つかいの達人になれば、武の術を手に入れられます。
【身体で覚えるということの大切さ】
  • 身体を意識することができるようになれぱ、稽古の在り方が、がらりと変化します。第三者の目で自分の姿がイメージできるようになります。これが身体で覚えるということの第一歩になります。
    身体で覚えるというと、何も考えずに無意識に動くことと理解しているかもしれませんが、その本質は違います。自分の身体が意識できなけれぱ、脳は的確な指令を出せません。
    体を使って覚えることが、まるで低級であるかのように考える傾向があります。
  • 知識の多さだけでは、決して人間性の豊かさにはつながりません。相手の痛み、悲しみがわかる感受性が必要です。修行という側面を通して、精神と肉体とのバランスを常に考盧しながら、事の本質に迫ろうとするという点で武道は長い歴史を有しています。武道家は、文武両道に長けることを善とした風潮を取り戻し、修行で明日を拓くことに努めていきたいと思います。
【武道の修行と身体感覚】
  • 日本語では、抽象的なことを説明するのに身体の部位を使うことが多くあります。例えば、「腹を割って話す」「腹が据わる」「腰砕けになる」「頭が固い」「肩身の狭い」「身に沁みてわかる」等、挙げ出したらきりがありません。身体を意識させる日本語の妙といえます。
  • 武道の稽古にあっても、技術の習得には身体の各部の運動を具体的に示すと同時に、具体的には見えない「胆」の充実とか「ハラを作る」などの表現で技術を説明することも多いです。
    これは単に、武道の技術習得だけに留まらず、精神的なレベルアップも意図しています。
【身体の歪みと技の関係】
  • 技を習得していく過程では、身体全体のバランスを意識し、歪んだ身体を正常に戻すというイメージを持って稽古をしていただきたいと思います。美しい身体、美しい姿勢を取り戻すには、普段から自分の身体の軸を意識した生活を行って欲しいと思います。
  • 自分の頭のてっぺんの百会から身体の中心を通って、地球の中心に伸びる縦軸を意識することが必要です。さらに地平に対する平行線を意識します。左右の肩を結んだ線、肩甲骨の左右を結んだ線、腸骨の左右を結んだ線が平行になっているかどうかです。
  • このように意識した生活と武道の稽古を通して、正しい均整のとれた身体を作ることで健康も維持されます。
【日本人の身体意識と正座】
  • 日本人は、長い歴史の中で身体を意識する工夫を培ってきました。工夫の証の一つとして、例えば正座の習慣があります。背筋を伸ばし、肩の力を抜き、腹と腰とに内臓をしっかり納め、腹式呼吸をしっかりすることで、自然と丹田に力を集める方法ができてきます。
  • 昔の人は、生活の中に取り入れることで誰もが恩恵を受けていました。日本人の生活風習が培ったナンバと言われる動き、足捌き、体捌き、運足、膝の抜き等を空手に生かす努力をしてほしいと思います。