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ご挨拶
1994年4月26日、極真カラテ創始者・大山倍達総裁が逝去されてから満17年の月日が流れました。
以来、悲しいことですが、極真カラテを愛する気持ちは一緒でも、政治的または方法論の相違から幾多の派閥に分離されました。 生前の大山倍達総裁は「派閥は作るな。和合が大切。 大山死すとも、極真は不滅です」とおっしゃっていらっしゃいました。 今こそ一堂に会して、本当の覇を競い合う時期だと感じています。
自然の世界は毎日新しくなっています。昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずです。
昨日咲いた花は今日は咲きません。水の流れは毎日違っています。
否、自然だけではありません。われわれの体でも昨日の細胞と今日の細胞は、新陳代謝しているのです。
でも、人間の「心」だけが古いところにこだわっています。 毎日新しい心で、何にも一物も持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しいはずです。
自然が新しくなっていくごとく、心も毎日毎日新しい心になって、古いことはさっさと忘れていけばよい。 恩を受けたことは大事ですが、怨みは忘れてしまえばよい。
簡単に忘れることはできないけれども、写真を見るがごとくに思い出したらいいと思います。
あの時は俺も若かったなあ、馬鹿なことやったんだなあと言うんならよいですが、 その時、腹を立てた時の感情をここでまた再燃して、「あいつは憎いやつだ」では困ります。
すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、昨日喧嘩したことは忘れて、 昨日人を恨んだことは忘れて、憎いことも嬉しかったこともすべて忘れて、 新しい心で今日を迎えていくということが、本当の人間の生き方であり、正しい生き方だと思います。
「三昧」とは、梵語のサマディー(三摩地)を音訳したもので、 「定(じょう)」「等持(とうじ)」の意があり、心を一境に専注することです。
「直心」とは、「直心是道場」の直心で、まっすぐな心、混じりけのない純一無雑な心、分別執着のない心です。
何時でも何処でも何事をなすにしても、そのことに純一であれというわけです。
この「三昧」と、「常に一直心(いちじきしん)を行ず」という言葉が合体して、 何時とはなしに一行三昧の言葉が生まれました。
「常に一直心を行ず」の語意が理解できれば、自ずから「一行三昧」の意も頷くことができると思います。
空手をする時には空手三昧、仕事をする時には仕事三昧、遊ぶ時には遊び三昧、 食事の時には食事三昧、勉強の時には勉強三昧、その間に一点の雑念妄想をはさむことなく、 全身全霊をもって事にあたる、これがまた、一行三昧でもあるわけです。
今こそ、みんなで、和合して、極真三昧しようではありませんか。

極真会館 長谷場道場 代表 長谷場 譲

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