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資料館@ 専門用語集編
■空手の源流 <手>  明治期以前の呼称。この時代の資料は殆どありません。琉球語で『デー』と発音し武術全般を意味します。現在も白流を『手』と呼ぶ武術が沖縄にあるとか。
<唐手>  明治〜大正期の呼称です。読みは『トウデー』中国伝来の印象が強かったため日本独自のものであることを強調する意図で後に『空手』に改称されました。武術から体育への過渡期です。
<首里手>  首里王城を基点として広がったスタイルです。首里手と呼ぱれるようになったのは明治期以降です。昭和になってからとの説もあります。完全に中国拳法が琉球化したものです。
現代では那覇手と極端に違うとされていますが、元々、近代(明治維新)以前は必ずしもそうでもなかったのではないかと思われます。
現代の代表的流派は松涛館流・和道流・糸州流・小林流・少林寺流などがあります。
<那覇手>  那覇周辺の帰化人居住区を基点として、明治以前から稽古されていましたが、現行の主流は近代に入って中国福建省から持ち帰られたものです。
中国拳法の要素が色濃く残るが、それだけでも無いような気がします。
現代の代表的流派は剛柔流・上地流・湖城流・劉衛流・糸東流などがあります。
<泊手>  首里手と那覇手の中間の技術とよく言われます。
ただ、那覇手の源流のーつ、白鶴拳の要素は確かにあります。あるいは近代以前の那覇手を解明する鍵となるでしょうか?現代の代表的流派は本部流・松林流などがあります。
※極真空手は、首里手・那覇手その他の格闘技のコラボレーションといえるでしょう。
■武術的専門用語 <体軸>  直立状態で、脳天から垂直に人体を貫く仮想の軸。これらをいかに維持、操作できるかは武術の上達にとって重要なファクターです。個々の筋でなく、仮想の面・軸・線等を使用することで、自然かつ統合的な身体操作をひきだします。
<正中線>  直立した人体を正面視した場合、体軸と重なる体表上の仮想の線です。
<正中面>  体軸と正中線を結んだ平面。やはり仮想の面だが、体内のみに存在するわけではありません。
体軸、正中線、自己の重心位置を越えた延長を仮想します。
<重心>  直立静止状態では、体軸上に存在し、概ね下腹部と仙骨の間に位置します。体軸の傾斜によって仮想的に体外に出ます。
『動き』の間は静止重心位置に合致させてはなりません。
<居着き>  静止重心位置に動的重心位置が合致し、重心落下を誘発しても垂直の体動しか発生せず、従って、どこへも即座に移動できない状態です。動きを含まない安定です。
日本武術では『死に体』と呼ばれます。心の居着き・言葉の居着きなど『なにかに捉われて、自由を失った状態』です。
つまり、武術で求められる立ち方は、銅像のような固まって動けないものではなく、曲芸の玉乗りのようなどちらの方向にも動ける状態です。
静止重心位置と動的重心位置が合致して固定されず、重心落下を用いて意図的に揺れ動ける状態です。
「うねらない」「床を蹴らない」「ためない」動き、すなわち居着かないということです。
<浮身>  常に両足裏が軽く接地し、しかも全体重が足裏には落ちない状態を作ることです。つまり、完全な重心の停止状態を作らないことです。
<沈身>  重心落下でー瞬の無重力状態を作ります。
<倒身>  全身を一本の棒の様にコントロール、棒を倒すようにすることで、先端に大加速を与えます。
<鞭身>  体幹部や四肢を脱力し、脊椎に付属する深部の筋で、動きをコントロールします。
桔抗筋の収縮を最小限に抑えられます。
<半身>  正中線で体幹部を左右に分割し、左右独立して、しかも協調するよう操作することで両足を固定せず体内の正中面を壁(支点)として使えます。居着かずに強力な技を出せます。
沖縄空手の伝統技法 ■正中線の激突 大胸筋を最大限に伸長させておき、急激に収縮させる。これにより肩(突き)を正中線(背骨)に水平に激突させる。この時に大胸筋が最大限に収縮して硬く膨らんでいることを確認する。
両拳を構え、右肩を後退させるつもりで大胸筋を伸長させる。正中線への激突を起こして、その威力で突きを放つ。身体を前から見て、正中線を中心にして、縦に二つに割って使う。軸を中心にして、腰を廻して突くのではないということ。
全身を使ったムチミの突きでは動作が体全体に現れてしまう。結果、攻撃をかわされてしまうこととなる。
正中線への激突を活用した突き。動作は右半身の大胸筋の伸縮操作のみである。腰と帯が振り回されていない点に注意する。対手は反応できずかわすことが出来ない。
通常、人体は前後に大胸筋を伸縮させる余裕がある。よって慣れた者であれば、わざわざ肩を後方へ下げて助走距離を取らなくても、通常の姿勢からでも正中線への激突は可能である。
破壊力が不足しないようにするため、ムチミの完成と、他技法との併用が必須となる。
■天地線の激突 臍の位置で身体を上下に二分割する。この分割線を天地線と呼ぶ。
初心の場合には、右腸腰筋を袴腰状態に伸長し、加速(激突)用意の姿勢をとる。急激に寸力(収縮)を掛け、脚部を天地線に激突させるようにする。
この際に、脚部はおろか、腹筋すらも使用してはならない。左半身も全く動作させておらず、使用したのは右側の腸腰筋のみである。
身体内操作であるため、軸足の踏ん張りが不要であり、地面の摩擦抵抗に頼っていないのが分かる。
この方式であれば、たとえ滑りやすい泥の上でも、ローラー・スケートを履いたままでも、蹴りは可能である。固定された柱等を掴んだ気持ちで操作を行う。
正中線と同様に、天地線を不動の大黒柱と見立てるのが肝要である。初心では身体内の天地線を意識し辛い場合もある。
その場合は、他者に固定された天地線を作ってもらい、そこへ激突させる稽古をしてもよい。
固定の水平のポールやバーがあればなお良い。袴腰状態で構えて、寸力を天地線へ激突させて蹴りを出す。
同時に左の腸腰筋で袴腰を天地線へ激突させて、体全体を加速全身させると飛距離が増す。
突きでも蹴りでも、原理は全く同じである。天地線への激突をもって、自分の体軸(正中線)を加速前進させる。これにより、長い射程距離と一撃必倒の破壊力を両立させるのである。
無論、これだけでは対手の捨て身の要撃(カウンター)に対応できないので、他技法との併用が必須となる。
■チンクチ(寸力) 寸力とは筋肉の屈筋、収縮動作によって発力し、硬度や威力を増す方法である。
この場合は、腰部の寸力について解説する。大腰筋、小腰筋、腸骨筋からなる腸腰筋の収縮を用いて寸力をかける。
那覇手の型「三戦」で見かける寸力。水月と肛門を直線に結び骨盤を上方へ引き上げるようにして寸力(締め)をかける。
稽古方法の一つとして、先ず腸腰筋を伸ばして、骨盤を後方へ下げてヒップアップした体勢をとる。いわゆる袴腰の姿勢である。
腸腰筋を収縮させることにより寸力をかけ、骨盤を最大限に前方へ反転させる。骨盤に巻き付けた帯の結び目が上方に上がる。
両腕の上に体重を乗せる。乗る方は上げる方がギリギリで上げられない程度に体重をかける。無論このままでは上げられないか、どうにか上がる程度である。
寸力をかけて上げた場合。はるかに容易に上げることが可能になる。那覇手では、接近戦での柔法があるため、ウェイト・トレーニングでバーベルを持ち上げるかのような動作速度で行う。
対して首里手では剛法に用いるので、素早く行う必要があり、運用方式が異なる。腸腰筋を収縮させることにより寸力をかけ、骨盤を最大限に前方へ反転させる。
骨盤に巻き付けた帯の結び目が上方に上がる。
■ガマク タイ国技のムエタイやキックボクシングなどの試合でよく見受けられる構えでは、重心を後ろ足に移し、前足の荷重を抜いた状態であり、故に前足は浮いた状態にある。
よって、予備動作を伴わずに、いつでも蹴りを放つことが容易となる。
同様の構えとして、那覇手系の空手に猫足立ちがよく見受けられる。これは前足で敵の金的を蹴るために使用されるが、前足に荷重が無いため非常に蹴りを出しやすい。
また転身も容易である為、剛柔流では象徴的な構えとして広まっている。
(ただし、正しくは「解裁の原理」による別の目的に使用される構えである) 余談であるが、全日本空手道剛柔会の創設者、山口剛玄は剛柔流の本土普及の立役者として名高いが、海外でも「The Cat]と呼ばれ、その愛称で広く世界各国に知られている。
一方、首里手系の空手や全日本空手道連盟競技などで、よく見受けられる構えでは、前蹴りを意識し、通常よりもやや広い足幅となっている。
前蹴りを繰り出そうとして、重心を前足に移して、後ろ足の荷重を抜いた状態では、後ろ足は浮いた状態にあり、容易に蹴りを放ちやすい構えとなる。
しかし、理屈不明の為、不十分な操作となってしまう。浮いた足により、予備動作無しで前蹴りを繰り出す事が容易であるが、これらの構えは、蹴りを準備しているのが敵に知られてしまいやすく、警戒されてしまう嫌いがある。
鍛錬により使用は可能であるが、武術的には効率が悪い構えといえる。実力が同等以上の敵には通用しない場合が多い。弱者が強者に勝ち得るのが武術であることを忘れてはならない。
ではどう浮けば良いのか?そもそも浮くとはどういった事なのか? 先ず平行立ち構えから、通常は、片足を上げると重心が元の位置から軸足の真上方向へ移動してしまう。これを元の位置に無理やり戻そうとすると、当然倒れてしまう。
それを防ぐためには、先ず体を右へ折り曲げる。左のガマクを収縮させた状態である。この時重心は右足に移動しており、頭の位置は元のままで左足は浮いた状態となる。
よって左足はいつでも蹴りを繰り出せる状態である。
さらに「12」の体勢を保ったまま体全体を左へ傾けて、両足が均等に接地した状態で止める。一見して荷重が均等に50%ずつの状態に見えるが、右足は浮いた状態である。
よって、右足は容易に宙に揚がり、蹴るも自在である。しかし、これでも「11」の平行立ち状態ではないので、実戦には不十分である。
ここでガマクの操作の出番となる。ガマクとは沖縄空手(この場合は首里手)の用語であるが、肋骨と骨盤の間にあり内臓を護っている膜状の筋組織を指し示す。これを操作し、上半身を下半身と分離させ、独立させて動かす。
「14」の体勢でガマク操作を行い、上半身のみを「9」の平行立ちの体勢の位置に戻す。この場合、ガマクの下(腰)と上(水月下)の2箇所の部位で、それぞれ逆方向へ「くの字」に二段階に折れ曲がっている状態である。
これにより重心を元に位置においたまま、蹴り足を浮かすことが可能となる。しかし、これでは操作に手間がかかり、実戦では不十分である。
実際には敵に、ガマクをかけて足を浮かせるのを悟られては意味がない。平行立ちや組手の構えから、気取られぬように行う必要がある。重心移動に合わせて同時にガマクをかけ、その両操作を完全に同調(シンクロ)させる。どちらか一方が早すぎても遅すぎてもいけない。
「17」の平行立ちの体勢を崩さぬようにしたまま、右足を浮かせる。敵からは判らないようにしつつ、いつでも右足の前蹴りが繰り出せる状態となっている。骨盤に巻いた帯の右側が僅かに上方へ上がる。
組手の構えで立ち、敵に悟られぬようにガマクをかけ右足を浮かせる。左前の構えにもかかわらず、腰の右側が上方に上がる。
よって「7」の体勢と同じ効果をもって、蹴ることが可能である。
右後ろ足で蹴りが出るという事は、追い突きが可能と同意義でもある。
よって、順突きよりも強力な逆突きよりも、遥かに強力な追い突きが容易となるのである。
余談であるが、生命が懸かった真剣勝負の場では、遠距離戦では最大威力である追い突き を使用するのが望ましい。
順突きや逆突きでは、威力不足により倒し切れない危険がある為である。事実、松涛館など首里手系の空手は追い突きがモットーである。
その為には、ここに挙げたガマク操作のみでなく、「倒地法」「縮地法」「一寸力(チンクチ)」等の技法を合わせてもちいる必要がある。
前足の荷重を抜き浮かせた状態とし、金的を蹴るのが容易になった猫足立ちである。しかし、この体勢のままで最大限にガマクをかけ、後ろの右足を浮かせることも可能である。
浮いた後ろ足で唐突に蹴りを繰り出す。相手がよもやと思う方の軸足で蹴るのが、一層の奇襲効果を生む。
これは本来の正しい有効な技ではない(相手まで届きにくい為)。しかし、このような操作も可能となる理由を理解し、ガマク操作の効果を認識して頂きたい。
「鍛錬方法」 ガマク操作の鍛錬方法としては、平行立ちから片足を上げる。
水月から上の上半身を、元の平行立ちの重心位置まで戻すようにガマクをかける。この体勢のまま、完全に停止できるようになるまで練度を上げる。
ガマクをかける際に、斜めにならないように留意すること。
これまでガマク操作をもちいて、蹴り足(踏み込み足)を浮かせる方法を記しました。
浮くことができれば、居着いた状態を避けることができます。居着いた状態とは、地に踏ん張り攻撃準備をした状態ですが、その為に動きが瞬間停止してしまいます。
攻撃準備の瞬間の呼吸が敵に知れてしまう嫌いがあるといえます。武術的には不利な状態であるため、日本武術では古来「死に体」として忌み嫌われてきました。
その為、昔の武芸者は「浮く」ことに心血を注ぎました。達人が、水面に浮かぶ一片の木っ端の上に立つ、または立ち木の細い枝の上にふわりと乗る、等の古伝が多くあります。
伝説の真偽は別として、明らかに「浮く」ことの重要性を意識したものであり、その理念と技法が古来から日本武術にあった事を示しています。
重り」を持てば、ガマクを用いずとも「浮ける」。ガマクとは体内に「重りを作り操作する」ことである。
右足も左足も自在にできるまで鍛錬し、歩きながら左右交互に完璧にガマクをかければ、体は限りなく宙に浮いた状態となります。
これらの伝説は、両足とも完璧に浮いた状態を究極の境地として憧憬したのでしょう。
ガマクは沖縄空手でも那覇手、首里手の大別の内、首里手の技法です。
首里手は中国の北派少林拳が源流とされていますが、沖縄では少林拳以外にも日本武術、特に剣術の影響を多大に受けました。
その為に取り入れられた技法ですが、独自の進化を遂げ、更に完成度の高い技法として昇華されているようです。
一方、剛柔流を含む那覇手では接近戦により組討ちの間合いですが、ガマクの操作はもちいません。開祖が「剛柔相助け使用すべし」といっておりますように、敵に密着しては剛法(打撃)は威力が無効化されるため、柔法(柔術)で敵を拘束してから剛法で止めを仕掛けます。
動けない敵に対して剛法を仕掛ける場合、浮かずに居着こうが、攻撃の呼吸を読まれようがほとんど影響がないのです。
日本武術の柔術でも「浮き」を重要視しますが、沖縄版柔術ともいえる那覇手では皆無です。何故でしょうか? これは日本柔術が剣術を基として発達した経緯によるものです。剣術の無手(武器を持たない)のものとして柔術はあったのです。
それ故に日本柔術は、無手の徒手空拳でありながら剣の技法を伝える、独特の技法理念を持つこととなりました。
那覇手のインファイター同士ならば間合いを詰めるのにも問題ありませんが、相手が首里手使いとなると問題です。昨今は、那覇手としても対首里手を意識しなければならない場合も生じます。
■袴腰 袴腰の概要については、寸力(チンクチ)にて解説した。ここでは活用法について解説する。
左前屈立ちの姿勢で、腸腰筋が左側は収縮して寸力(チンクチ)状態であり、右側は伸長して袴腰状態である。腰をきるようにして右前屈立ちとなる。
腸腰筋の左右の寸力と袴腰が入れ替わり逆転しているのが分かる。
この場合は、腿や脹脛(フクラハギ)など脚部の筋肉で動作したのではなく、足の根元である股関節部分を寸力(チンクチ)と袴腰で操作しているのである。
これの利点は、末端ではなく根幹部分で操作することにより、数倍の速度で動ける点にある。
また身体内操作であるため、動作が外部に表れ難く、対手に動きを読まれ難い利点もある。
正中線上に右掌を構えておき、身体内で袴腰と寸力を一瞬で入れ替える。
対手が反応できない程の速度と正確さになるまで稽古する。初心者は剣を正眼に構えて持ち、正中線を意識するようにしても良い。初心者は急激な動きに上半身の正中線が遅れることもあるので注意する。寸力と袴腰を切り替えた際に、剣の構えが正中線を外さないようにする。
右前屈立ちで構えておき一瞬で入れ替える。この操作をその場の入れ替えで行う。
これにより入れ替えの為の腸腰筋の鍛錬や、コツを習得する。構えておき、寸力と袴腰の入れ替えにより突きを出す。感覚的には、踏み込みと突きが同調する。停止状態からの動作の為、慣性の法則により抵抗が生じる。これにより、必要な腸腰筋の筋力などの鍛錬を積む。
袴腰の他の用法を解説する。袴腰の姿勢とは、腸腰筋を伸長して骨盤が前方へ回転落下(臀部側は上昇)した形となる。よって下半身は後方へ、上半身は前方へ突き出た姿勢となる。
当然、不安定となるため、上半身を後ろへ仰け反らせヒップアップした姿勢をとることにより、バランスをとることになる。この際に上半身を仰け反らせず、元々の正中線のままの姿勢を維持すると、やや前方へ傾いた姿勢となる。
当然、不安定な姿勢となるが、これを目には見えない「第三の足」により支える。
取りも直さず、この姿勢は陸上の短距離走と同様に、急発進しやすい姿勢なのである。袴腰とは、この「位置についてヨ〜〜イ」の姿勢を、対手からは見え難いように身体内で行うことでもある。
袴腰を用いた構えから、寸力と袴腰の入れ替えを用いて行った突き。何気なく突っ立った構えに見えるが、それでいて助走をつけたような距離を、予備動作無しで、瞬きする間に突きが飛んでくる。
対手としては非常に対応し難い攻撃となる。ただし、これだけでは実戦で不十分であり、他技法との併用が必須となる。
■ムチミ ムチミの利いた剛法攻撃は鞭で叩いたかのような鋭い威力がある。
先ず、準備体操兼、柔軟性向上の予備運動を行う。でんでん太鼓をイメージして、両腕を錘を付けた紐だと思い、肩から先の力を全て抜いて脱力する。
正中線(初心者は背骨と考えても良い)を軸にして、でんでん太鼓を回しているつもりで両腕を振る。この際、両腕には一切の力が入ってはいないようにして行うこと。これにより筋肉と関節部分の柔軟性を向上させる。
正中線を軸にして、腰の回転で鞭を振り出すようにして、腕を振るう。回転によって発生する遠心力によって腕を振るのであり、腕の筋力によっての動きではない点に注意する。
十分に脱力した状態で、ムチミを利かせて拍手をしてみる。
重さは無いが強烈な切れがあるため、皮膚が裂けんばかりの衝撃がある。
実戦では、ムチミの利いた突きを対手の上段急所に目掛けて行う。
ムチミを利かせた、手の甲側でのビンタ打ち。
円形軌道により遠心力も加わって威力が増す。両拳を上段に構えて立ち、正面へ直突きを行う。
力まずにムチミを利かせ、着けた手袋を弾き捨てるように、拳を投げ出すつもりで打ち込む。
過度に強振すると肘関節の脱臼や、靭帯の損傷を招く場合があるので、初心者は十分に注意すること。
的をよく狙って打つ。初動作はゆっくりとした動きの方が当てやすい。
この稽古は"切れ"を鍛練する稽古であることを認識し、強く打とうとするあまりに力んでは決してならない。
拳、腕ともに脱力したまま行うこと。ビンタしたような切れがあるが、反面重さはない。
実際には踏み込みと併用することにより、切れと重さの両要素を獲得する。
肘関節部分の鍛錬が十分でない初心者は、質量のあるパンチングミットを使ったほうが安全である。
ムチミを用いた突きは、切れがあるため脳震盪を起こさせやすく、上段への攻撃において威力を発揮する。
しかし筋肉や脂肪で覆われた中段への攻撃には不向きである。
その他の特徴として、反動が感じられない事が挙げられる。これは、棒で壁を押せば押した本人にその反動が返るが、鞭で壁を叩いても反動が返らない事と同様である。
質量(拳)を投射する動作であり、感覚としては銃での射撃に似ている。
熟達すると独特の感覚を感じるようになるが、これは猟師が獲物を撃って当てた際に、目で見ずとも「手応え」を感じるのと似ている。
■膝の抜き 初めに、手の動きの速さと反射神経を鍛錬する。
対手の掌の下に自分の掌を構える。
互いの掌が触れないように注意する。鋭く上方から対手の掌を叩こうとするが避けられてしまう。
繰り返し稽古して、反射神経と動作速度を鍛える。
普段から自分の能力値を把握することが大切。続いて、対主を代えて同様に行う。
予備動作を出さないようにして鋭く動くが、 ギリギリでかすめるだけ。膝の抜きを用いた場合は、しっかりと叩くことができる。反射神経の良い者であれば、更なる効果が期待できる。
膝が抜けた瞬間に慣性により上半身が反動を受けるので、正中線(初心者は背骨と考えても良い)の姿勢が崩れてはならない。
続いて、順突きを行う。
動作開始から突きが最大限に伸び切るまでに時間が掛かっている。
次に膝の抜きを用いた場合。左の膝が抜けたと同時に、貯めていた力が解放され、体が前方へ加速を始めている。後ろ足と正中線(背骨)と左腕が、針金が通ったように一体化している。
これにより、全体重が突きに集中し、破壊力が増す。また、末端(左拳)から一方の末端(右足裏)までが瞬時に一体化するため、動作反応も素早くなる。
動作開始から突きが伸び切るまでの時間も短縮されており、突きの速度も上がっている。
■入り身 双方、向かい合って攻防開始。左者は攻撃を開始し、右者にプレッシャーを掛ける。
左者はこの際に、袴腰の姿勢で仮想重心と倒地法を用いて、正中線を打ち付けるようにする。
これにより、右者へのプレッシャーが更に増す。
右者が反応し、迎撃を開始する。
左者は腰を回さずに正中線の向きを右斜角方向へ変える。身体内で方向転換するため、右者はそれを認識できず気が付かない。左者は右斜角方向へ前進する。
この際に、正中線の向きと動作の向きが一致しているので、力、速度共に最高の動作か可能である。右者は攻撃の向きを修正するが、正中線の向きは修正できず、一致していないので威力不足となる。
よって左者は防御が容易となる。
左者は右者の死角へ回り込んだ状態となる。
左者は対手に正中線を向けているが、右者は対手に正中線を向けていない。
右者は死角を晒した状態であり、著しく不利となる。
左者は攻撃を仕掛ける。右者は正中線の向きを修正する時間の余裕がないので、後退せざるを得なくなる。後退しながらの攻撃は著しく威力不足となる。
よって左者は、攻撃においても防御においても一方的に有利、右者は一方的に不利となる。
右者は後退を続けても、左者の連続攻撃で追いつかれてしまう。
入り身を用いると、正面対正面の攻防ではなく、対手の死角に回り込んで戦うことになる。
よって、速度、威力、体格差等による射程距離(リーチ)の差による優劣が無効になる。
また対手の死角側面に攻撃できるので、非常に有利となる。
熟達すれば、速度、威力共に最低限度のもので十分となる。
■零の理(合気) 戦闘時には対手との攻防のかけ引きが行われる。攻撃能力の高い方が有利であるが、戦いとは相対的なものである為、強い方が必ず勝つとは限らない。巧者が強者を上回る場合もありえるのである。
対手の攻撃の気勢を正確に測り、それに合わせて動く事が大切である。
分かりやすい前後の動きの場合で見てみる。
双方、構えて向かって右者が攻め入った瞬間に、左者は素早く後退する。この際、左者は下がり過ぎても足りなくてもいけない。右者の踏み込み、攻撃の距離を正確に測り、その分だけ下がる。
これにより右者の踏み込みや攻撃を無力化するのである。
左者は右者の攻撃を見切った直後に反撃に転ずる。合わせて右者も同様に見切って素早く後退する。この間、双方共に攻防可能な正しい姿勢を維持せねばならない。
双方構えて動かない状態を、基準の零の気勢の状態とする。
対手が5の気勢で攻めた場合は5の分だけ、10の場合は10の分だけ後退する。
対手との気勢を測ってプラス・マイナスの差し引きを行い、零状態を維持する限り、対手の攻撃を一切受けずに済む。
さらにプラス1、マイナス1の分、対手より上回ることが出来れば、「敵からは遠く、自らは近く」の格言通りの状態となり、必ず勝利することとなる。この対手との気勢のプラス・マイナスの差し引きによる零状態の創造が、武術の一つの境地である。首里手において、これを「零の理」という。
柔道の「押さば引け、引かば押せ」とも同意語である。
対手との気勢を零に合わせることから「合気」ともいう。
日本剣術や柔術にも用いられる理法であり、武術の一根幹を成すものである。
合気道の流名にある「合気」もここから来ており、まさに的を得た流名であるといえる。
流石は上芝合気道開祖ならではの、観の目になる命名かと感嘆の思いだ。
しかし実際に前後の動きの中で「零の理」を行うのは難しい。
対手の正確な連続攻撃の前では下がり続けるしかなくなってしまう。
100メートルなどの短距離走を見れば分かるとおり、前向きで走るのと、後向きで走るとでは、お話にならない結果がでる。下がり足よりも追い足の方が速く、有利なのだ。反撃も、下がりながらでは打撃の威力も半減してしまう。
見切った直後に反撃に転ずるとしても、慣性の法則が働く為もあり全力の踏み込みを伴った攻撃は至難であり、どうしてもその場打ちになりやすい。
寸止めのポイントマッチならばともかく、実戦では困難至極となるのである。
対手の連続攻撃が不十分、不完全ならば「零の理」もあり得るが、同格者同士の場合は、先に仕掛けた方が絶対的に有利となる。
多くの道場では「先に仕掛けろ」と指導しているが、ある意味で真理なのである。
上級においては「零の理」は「入り身」と併用することによって、その効果を最大限に発揮する。
しかし初級において前後の動きの中で十分に「零の理」を練磨する必要があり、それが限界まで適ってこそ上級の技法との意味がある。
■武道用語集 (空手のとは若干違いますが、剣道用語を参考にさせていただきました) <相打ち(あいうち)>  互いに五分と五分の位で、同時に攻撃して、しかも勝ち取ることです。
<相い構え(あいいがまえ)>  相手と同じ構えをとることです。
<合気(あいき)>  双方の攻防の気が同時となり、勝敗がつかないこと。合気をはずすとは、双方の攻防の気が同時となり、勝敗がつかないときそれまでの機会の捉え方や戦法を変えて攻めることです。
<相抜け(あいぬけ)>  お互いに争う気がなければ当たることもないということです。
<阿吽(あうん)の呼吸>  相手と呼吸を合わせること。阿は呼気、吽は吸気であり、万物の資源と究極を象徴しています。
<足捌き(あしさばき)> 歩み足・送り足・踏み換え足・開き足・継ぎ足などの種類があります。
<余す(あます)>  相手の攻撃を抜きはずすことで、後方の体を捌いて抜くことを言います。
<歩み足(あゆみあし)> 日常生活で行う歩行と同じ要領で交互に足を前に出す足運びで、相手との距離があり、送り足では間をつめるのに時間がかかる時に用います。
<一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき)>  空手道修行の大事な要素をその重要度に応じて示したものです。
一眼・・・相手の思考動作を見破る眼力であり洞察力です。
二足・・・技の根元は足であり、足の踏み方使い方は空手で最も重要視されます。
三胆・・・胆は胆力であり度胸です。ものに動ぜぬ胆力と決断力であり不動心の意味です。
四力・・・力は体力ではなくて技術の力であり、わざ前のことです。空手道はすべて技術だと一般に思われているのに、技術を最後に持ってきたところにこの教えの尊さがあります。
<一足一刀の間(いっそくいっとうのま)>  一般には拳先が触れるか触れないかという間合い。一歩踏み込めば相手に打突を与え、一歩さがれば相手の打突をかわすことのできる間合い。
これより近いと近間、遠いと遠間といいます。これは個人の体力・体型・筋力・空手道の習熟度によって一概に規定はできません。稽古を重ねる中でこの間合いをつかんでいきましょう。
<居着く(いつく)>  攻防の途中に瞬間的に自由に動けない状態や、あるいは試合中に自分の気持ちが一時的に止まって瞬間的動作のできない状態をいいます。たとえば、攻められてガードをかたくしめてし まったり、体の重心が後ろに傾いて前に出られなくなったような状態も居つきといいます。
<往なす(いなす)>  相手の打突をさばいて受け流すと同時に、相手の体勢を崩すことをいいます。
<色(いろ)>  虚実の虚のことである。相手に隙がない場合に自分の法から虚をもって相手を誘い込むことがあります。これを色といいます。例えば、上段を蹴るぞという色を示したため、相手がこれを防ご  うとわずかに手元を上げた瞬間に中段を蹴る技などがあります。
<遠山の目付(えんざんのめつけ)>  相手と対峙したときに、相手の拳や打突部など一カ所をだけを見つめたりしないで、遠い山を望むように、相手の顔を中心に体全体をおおらかに見なさいという教えです。
<応じ技>  相手の仕掛けてくる技を、「払う」「捌く」「打ち落とす」などをして、相手の攻撃を無効にして同時にうまれた隙を打ち込む技のことです。
<送り足(おくりあし)>  最も基本的な足運びで、進行する方向の足から移動を開始して、ついで他方の足を移動した足に引きつける動きです。
<帯の矩(おびのかね)>  相手の目を見ていると自分の心の中を見破られるような恐れのあるときは、相手の帯のあたりを見よという教えです。相手は目を見てこちらの心が読めないから果敢な攻撃はできなくなるとい  うわけです。
「脇目付」ということもあります。
<掛かり稽古(かかりけいこ)>  相手から打たれたり、いなされたり、応じられたりすることにとらわれずに、自分の思いのまま十分な気力と体力をもって、いろいろな技を身を捨てて強く激しく打ち懸かる稽古です。
元立ちはよい攻撃は打たせて、無理な攻撃や悪い攻撃は返したり捌いたりして打たせず、正しい攻撃と気力を身につけさすようにします。掛かり稽古では次のような効果があります。敏捷性・  持久力が養われます。正しい間合いを知ります。打つべき機会を知ります。
<かけ声>  空手道におけるかけ声は、次のような効果があります。
大きな声を出すことにより、自らを励まし、 気勢を増し、恐怖の心をなくし、攻勢に出られます。
相手に驚きや恐れを与えます。無心になることができます。心気力の一致をはかれます。攻撃の瞬間に声を出すことによって速く、強く冴えた攻撃になります。
<香取・鹿島(かとり・かしま)>  香取神宮・鹿島神宮のことで、武神を祭る神社として尊崇され、武の発祥の地とされています。
<上座(かみざ)>  道場での上座は神棚が置かれている場合、正面の中央が「正中」と呼ばれて一番尊い位置とされています。正面両脇の席次は左が上位で右がその次になります。中国から伝わった作法で 南を向いて座って日の出る東が上位で日の入る西が下位になるわけです。玄関を入って正面に神棚がある場合は、右手が上座になります。しかし、道場の建て方によってそれぞれ、上座  を決めている場合もあります。
<観見の目付(かんけんのめつけ)>  観とは洞察力をいい、見とは物理的に動きを捕らえる目をいいます。両者とも相手の目を見ることが大切とされています。
「目は心の鏡」といわれるように目を見ればその人の心の状態がわか  ります。また、目を見ることによって相手の身体全体が見えるものです。
「観の目強く、見の目弱く」という教えもあります。相手を見るのに「目で見るより心で見よ」という意味です。宮本武蔵は「観の目強く、見の目弱し」と言っています。
<気合い(きあい)>  気合いとは、全身に気力を充満させ、少しの油断もなければ邪念もない状態で精神を集中して万全の注意をはらった状態で事に当たることをいいます。気合いには声を出す(有声)と声を出  さない(無声)とがあり、掛け声として外に発するものと、体の中の気力に秘めて声を出さないものがあります。
どちらも、敵に対して隙を与えず、相手の隙を直ちに打ち込める状態でなければなりません。
空手道では、気合いは大変重要で、普段は自分より強い相手に勝てることは、気合いの充実した状態があってこそです。初心のうちは、相手に威力を感じさせるくらいの力のこもった発声を  心掛ける事が大切です。
<気当たり(きあたり)>  立ち会いにおいて、相手に活気を発し、相手の当たり、反応を見ることです。
<気位(きぐらい)>  多年にわたる修養鍛錬、技の修練の結果、自分に備わった侵しがたい気品です。
<気剣体の一致(きけんたいのいっち)>  攻撃の基準となるもので、「気」とは打突の意志とそれを表現する充実した気勢・掛け声、「剣」とは正しい攻撃、「体」とは体さばきと体勢・踏み込む足と腰の入った姿勢をいいます。これらが  同時に満たされていることが有効攻撃の条件になります。ですから心気力の一致とは意味が違います。
<機前(きぜん)>  相手の一念が発する以前に機先を制して、相手の気勢をくじくことです。
<気づくり>  立ち会いの前の段階で、気持ちを整えていくことをいいます。武道史上の名勝負といわれるものは、たいてい立ち会い以前に勝負がついていたといわれています。
<技癖(ぎへき)>  昔から人には無くて七癖と言われるように、各人それぞれ癖のあるものです。空手道でも各人に技術上の大小の悪い癖があるものです。これを技癖といいます。師から正しい技術を示され  ても、個性の悪い表れとして、技癖が生まれてくるのですが、これはその技術を正しく理解し体得していないためです。技癖は上達を妨げる大きな原因となるもので、技癖を指摘され正し  い技術を示されたときは、最も大切な事として技癖を直すように努力しなければなりません。
<虚実(きょじつ)>  虚とは相手の守りの弱い状態(守りの薄い)のところ、実とは強いと状態(十分守っている)のところをいいます。実を避けて虚を打てという教えです。
相手の虚実はこちらからの攻め方(誘い方)によっても変化します。その虚実の変わり目を打つことが大切です。
<稽古照今(けいこしょうこん)>  古(いにしえ)を稽(かんが)え、今を照らすという意味です。日本古来の伝統的な武道や芸道の練習方法をいいます。
<拳心一如(けんしんいちにょ)>  拳は人なり、拳は心なりといわれるように拳は心によって動くものであり、拳と心とは一元的のものです。したがって、正しい剣の修行をすれば正しい心を磨く結果になります。
<空手道の理念(からてどうのりねん)>  「空手道は空手の理法の修練による人間形成の道です」 <空手の五徳(からてのごとく)>   正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲(けんじょう)   <空手道修練の心構え(からてどうしゅぎょうのこころがまえ)> 「空手道を正しく真剣に学び、心身を錬磨して、旺盛なる気力を養い、空手道の特性を通じて、礼節を尊び、信義を重んじ、誠を尽くして、常に自己の修養に努め、もって、国家社会を愛し て、広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものです」 <空手道修行の目的>   空手道は空手の理法の修練による人間形成の道であって、その目的のために行われればフルコンタクトでも、グローブでも、あるいは寸止めであっても空手道といえるで しょう。そし て、その理法を研究し、修行鍛錬していくところに空手道の真価が認められ、心身を鍛練することによって偉大な精神、頑強なる身体、崇高なる人格などを養うことが空手道の修行の目的 と言えます。
<懸待一致(けんたいいっち)>  攻める(懸かる)ことばかりに専念しても、備える(待つ)ことばかりに専念しても隙が生じてしまいます。だから、旺盛な気力とともに、懸かるところに待つ心、待つところに懸かる心がなければならないということです。
「懸中待(けんちゅうたい)」「待中懸」ともいいます。簡単に言えば「攻防一致」といってもいいでしょう。
<剣は心なり(けんはこころなり)><拳は心なり(けんはこころなり)> 「剣は人なり。心正しからざれば剣又正しからず。剣を学ばんと欲すれば、先づ心より学ぶべし」らしいですが、一般には「剣は心なり。心正しからざれば剣又正しからず。剣を学ばんと欲 すれば、先づ心を正すべし。
」のほうがよく使われています。
これは幕末の剣士 島田虎之助の言葉です。島田虎之助は九州豊前(大分県)の中津藩士で直心影流の男谷精一郎の弟子で浅草の新堀に道場を開いていました。兄弟弟子には榊原健 吉がいます。また、虎之助の弟子には幕末に活躍した勝海舟が有名です。
<剣を踏む(けんをふむ)><拳を踏む(けんをふむ)>  宮本武蔵の「五輪の書」に出てくる言葉で、相手の打ち出す剣を足で踏みつける心持ちで機先を制すること。この場合、気で制し、体で制し、剣で制して相手の剣先を制することが肝要で す。
<交剣知愛(こうけんちあい)><交拳知愛(こうけんちあい)>  剣を交えて愛しむを知るという意味。剣道は単に竹の棒で相互に打ち合うものではなく、一度稽古した人には是非もう一度稽古をお願いしたいと思われるような剣道をするように心掛けよと いう意味です。
<狐疑心(こぎしん)>  狐は疑い深い動物で、狩人に追われたときに逃げ場に困り道に迷っている間に脇に回られて狩人に撃たれてしまうことがあります。このことから、狐のように疑い深く進退の決心がつかない ことをいい、空手道における戒めのひとつです。
<冴え(さえ)>  「技に冴えがある」「冴えのある打ち」などといわれますが、冴えた動作とは、合理的で無駄のない状態をいい、科学的にエネルギーが最も有効に使われた動作を感覚的に表現した言葉で す。したがって無駄な攻撃をだしたり無駄な所作が多ければ決して冴えているとはいえません。
構えているときは力を抜き、攻撃の瞬間に必要な筋肉を緊張させ、気拳体の一致した動作が必要です。
<三角矩の構え(さんかくくのかまえ)> 中段の構えのポイントを教えたもので、眼、腹、剣先の三角形の矩をはずさないように構えることをいいます。この教えは山岡鉄舟が考え出したものです。
<三功一致(さんこういっち)>  相手を攻める技を出すための三つの道具(切先、身体、気合)が一致する事が大切で、錬磨によってのみ得られます。
<三殺法(さんさっぽう)>  相手の「気を殺す」、「竹刀・太刀を殺す」、「技を殺す」ことをいいます。気を殺すとは、充実した気力を持って相手の気を崩して攻めることをいいます。竹刀を殺すとは、相手の竹刀を抑えた り払ったり、叩いたりして竹刀の自由に使わせないことをいいます。技を殺すとは、相手の打ちに対して先を取って乗ったりはじいたりして、相手に攻撃の機会を与えないことをいいます。
千葉周作はこれを「三つの挫き」と表現しています。
<残心(ざんしん)>  相手を打突した後も気持ちをゆるめることなく、少しも油断もなく、その後の変化に直ちに応じられるような心構えをいいます。一般的には攻撃の後に構えに戻って、相手に正対することにな ります。
<三磨の位(さんまのくらい)> 空手には「習い」「稽古」「工夫」の三つの要素が大事であり、これを一体的に磨くことをいいます。
<直心是道場(じきしんこれどうじょう)>  純一無雑な素直な心で空手道を学び、空手道以外の日常生活の様々な出来事も空手道ならどうするかと考え、少しの間も空手道から離れることなく修行する事です。
<四戒(しかい)> 空手道の四戒は驚(きょう)・懼(く)・疑(ぎ)・惑(わく)のことをいい、空手道の四病ともいう。
「驚」とは突然予期しないことが起こって心が動揺してしまうことです。心身に混乱を起こして正確な判断ができなくなります。
「懼」は恐怖心が起こることです。心身が硬直して十分な活動が できなくなります。
「疑」は疑いを持ち注意力が心の中で停滞してしまうことです。
「惑」とは惑いが起きて、敏速な判断ができなくなり、動作も緩慢になってしまいます。このような心の動きが、 空手道において平静な気持ちが乱れて、呼吸も混乱させてしまいます。この四つの心の病気を起こさないように修行する必要があります。
<しかけ技>  相手が攻撃の動作を起こす前にこちらから相手の中心を攻めたり、技で押さえて隙をつくらせ、または、相手の隙を発見すると同時に打ち込んでゆく技です。
<地稽古(じげいこ)>  お互いに気力を充実させて修得した技を積極的に出し、錬磨しあう総合的な稽古法です。
<止心(ししん)>  注意が一つのものに停まってしまうことをいい、「居着く」ともいって、相手から打突されやすい心の状態です。技を仕掛けたり仕掛けられた時にその攻防が終わった後でも、そこに心を止め てしまえばその瞬間に隙ができつけ込まれたり、次の攻撃が出来なくなるので、止心は戒められる状態です。勝ちたい、打ちたいと考えること自体が止心であるので、普段の稽古でもこのよ うな気持ちにとらわれずに無心で取り組むよう修行することが大切です。
<守破離(しゅはり)>  修練の過程を示した言葉です。守は師の教えを守りひたすら基本を身につけること。破は今までの教えを基礎として自分の個性を活かし、自分自身のものを創造する段階。離は最初の教え から外れるのではなく、それを中核にして自由自在に行動し、教えを乗り越える段階をいいます。
<心気力一致(しんきりょくいっち)> 「心」とは、観察力(敵の心の働きを観る力、いわゆる心眼)・不動心(敵の動きにまどわされない心のすわり、平常心)です。
「気」とは集中力(精神エネルギーを集中させる力)・制圧力(敵を 気で圧倒し、その心身の動きを制圧する力)です。
「力」とは、瞬発力(敵の変化に対応する業の力)・智力(戦いを有利に導くためのかけひき)です。
<隙(すき)> 驚(きょう)・懼(く)または恐(きょう)・疑(ぎ)・惑(わく)の生じた心の隙と拳先が相手の中心から離れたり、手元があがる、または下がるなどして生じた動作の隙や構えの隙があります。
<捨て身(すてみ)>  身を捨てたときこそ、はじめて浮かび上がってくる機会があり、相手の隙を見るやいなや、躊躇することなく身を捨てて打ち込んでいくことにより、勝ちを得ることができます。
<静中の動(せいちゅうのどう)>  静かに相手を観察する中にも心が停滞することなく、機熟せば直ちに激しい動きに転じることができる心の準備が大切という教えです。動中の静の反意です。
<石火の機(せっかのき)>  沢庵和尚の著した不動智神妙録の中で述べられていることです。火打ち石は打った瞬間に火花が発するものであり、後から発するものではありません。そのように攻撃の機には間も隙間も ありません。心の留まるべき間のないことをいいます。心が留まるは我が心を人にとられるもので心を留めてはならないという教えです。
<先(せん)>  先には次の三つの先があります。
先の先(先々の先):相手の思惑を素早く察知して、相手が動作を起こす前に打つことをいいます。対の先(先・先前の先):相手の思惑までは察知できないが、打突してくる起こり頭をとらえ たり、相手の技が功を奏する前に、すり上げたり返したりして勝ちを制することを言います。
後の先(待の先・先後の先):相手に「先」を仕掛けられて、それに応じる場合をいいます。相手の打ってくる技をかわしたり、打ち落としたりして相手の気持ちの萎えたところや、体の崩れたと ころを打つことをいいます。
<蹲踞(そんきょ)>  剣道で蹲踞という場合はやや右足を前につま先立ちで両方の膝を左右に開いて折り曲げ、上体を正した中腰の右自然体の体勢をいいます。本来は礼法の一つです。立礼・座礼・蹲踞の 礼があります。蹲踞の礼は、屋外などで目上の人に礼をするときに立礼では失礼ですが、座礼もできないような場合に行われていました。古流の中には蹲踞の姿勢で礼をしてから刀をつか む流派もありますが、剣道では蹲踞の姿勢で竹刀を構えるので、いろいろな意見があります。
<大強速軽(だいきょうそくけい)>  初心者指導の要諦は「大きく正しく」ということで大強速軽はその上達への過程を教えたものです。最初は大きく振りかっぶって強く正しく打つ。そのうちに技もだんだん速くなり、無駄な力が  なくなり次第に軽妙になり、冴えのある立派な空手道になります。
<打突の好機(だとつのこうき)>  打突すべき次のような機会を指します。1)起こり頭:出頭、出鼻ともいい動作を起こそうとする瞬間。2)受け止めたところ:相手が自分の打突を受け止めた瞬間。3)居着いたところ:心身の活 動がにぶり、動きが一時停滞した瞬間。4)退くところ:相手が攻めに屈して退こうとした瞬間。5)技の尽きたところ:相手の技が一時中断し、体勢を整えようとする瞬間。特に1)2)3)を「三つの 許さぬ所」といいます。
<ため>  技を発する場合、心においても体においても余裕を持ち、気の充実をはかり臍下丹田に気を張り巡らしてから技を出すことが肝心です。気の充実のないところから出した技は、相手にその 起こり頭を押さえられ、相手の誘いに簡単に乗ってしまうことにもなるので稽古で十分練る必要があります。
<丹田(たんでん)>  丹田とは臍下丹田といい、へそと恥骨の腹中にあり、東洋の身体論で、心身の活力の源である気の集まる所と言われる場所で、そこに力を入れることによって、腹のすわった姿勢が保たれ、  心の動揺も抑えられるという教えです。
<智仁勇(ちじんゆう)>  何が正しいかを識る意の「智」、相手を理解する、相手の立場になってものが考えられる慈愛の心を「仁」、そして勇気をふるって打ち込む「勇」、この智・仁・勇が渾然一体となったものが空手  の道です。
<対の先(ついのせん)>  相手が先を取って動作を起こすと同時に、こちらも先に動作を起こすことを言います。
<継ぎ足(つぎあし)>  後ろ足を前足に引きつけ、前足から前進する足運びで、相手との距離が遠くて打突が届かないとき、間を盗んで大きく踏み出すために用います。
<動中の静(どうちゅうのせい)>  激しい攻防の中でも冷静に相手の状況を判断することが大切であるという教えです。
<中墨をとる(なかずみをとる)>  中墨とは大工用語で、墨縄でつくる中央線のことで、剣道では相手の中心を意味します。つまり、自分の剣先が相手の中心から外さないようにするという意味です。相手に打たれるときは必 ず剣先が左右どちらかにそれていて、構えに隙のあるときです。どんなときにも剣先を相手の中心から外さないようにしていれば、打たれないし、打たれても立派な稽古ができます。
<刃筋(はすじ)>  刃物でものを切るとき、加える力の方向と刃の方向が一致することが大切です。打突の際には常にこの刃筋を正しく操刀する事が大切です。これを「刃筋が立つ」といいます。この反対で平  打ちなどは「刃筋が立たない」「刃筋がつぶれる」などといいます。下段蹴りなどでも、脛の骨を <ひかがみ> 膝の裏側の部分をさすことば。正しい足さばきから踏み込みには、足のひかがみの張り具合や余裕の持たせ方、使い方が大切です。
<引き上げ>  打突の後、充分な身構えや心構えがなく相手から引き下がって縁を切ること。
<百練自得(ひゃくれんじとく)>  芸事はすべてを見聞きして身につけるものではなく、失敗や成功を重ねて多くの経験の後に身寿から自ら身に付くものであり、不断の努力が大切であるという古人の教えです。
<開き足(ひらきあし)>  相手の攻撃を、身体を左右にさばいてかわすのに用います。
<二つの目付(ふたつのめつけ)>  目付は相手の目を中心に見るのですが、特に拳足の二つに注意をしなさいと言う教えです。
しかし、初心者がこのような特定の場所に目を付けることは「止心」につながるので、教えるべきではありません。
<踏み込み足(ふみこみあし)>  相手の隙をとらえて鋭く打突するときに使う足捌き。右足で蹴るように踏み切り、左足を上げた後で足の裏全体で床を踏みつける。さらに右足を左足に素早く引きつけ、前進する姿勢がとど  まることなくなめらかに送り足をおこなう、という一連の動作を言います。
<平常心・不動心(へいじょうしん・ふどうしん)>  普段の心の状態を平常心といい、どんな状態でも平常心を持ち続ける、心が動かない状態を不動心といいます。どんなときでも自分を見失わない心は、実力を発揮するために大切です。
<放心(ほうしん)>  ふつう「放心」というと、心がぼーっとしてまとまりのない状態をいいますが、空手道でいう「放心とは、どんなことにも対処できるように、心をとき放ち、何ものにもとらわれない心をいいます。
<間と間合い(まとまあい)>  間と間合いは同じ意味で使う場合もありますが、厳密に区別すれば次の通りです。
「間」とは時間的な距離をさし、「間拍子」や「拍子の間」などに使われている。
「間合い」とは空間的な距離  で相手と自分との距離をさします。
「我より近く、相手より遠い」と言われるのが間合いです。しかし、間合いを略して間ということがあります。
<枕のおさえ(まくらのおさえ)>  現代用語で言えば出ばな打ちのことです。人が立ち上がれば強力な力を発揮しますが、立ち上がろうとしている、まさに枕から離れようとしている瞬間は少しの力で押さえることができます。
小の力で大の力を押さえられるということです。面のメ、小手のコの字を打てという教えもあります。
<見取り稽古(みとりけいこ)>  ばくぜんと見学するのではなく、他人の稽古や練習態度、得意技などを研究しながら、よい点は取り入れ自分の空手道に役立てて行くように見学することを言います。自分が稽古をしてい  るときでも、常に見取り稽古を心掛けなければいけません。
<無心(むしん)>  何かをしようとする心の無いことです。
<無念無想(むねんむそう)>  よけいな事を何も考えない様子です。
<明鏡止水(めいきょうしすい)>  自分の心は明らかな鏡で、止まる水のように澄み切っていれば、水面が夜空の月を写すように相手の隙が自然に自分の心に映るということです。
<目付(めつけ)>  剣道では「一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき)」ということばがあります。
「眼」は洞察力、「足」は迅速な足さばき、「胆」は度胸、「力」は単に物理的な力ではなく、一、二、三、の要素を含む力をいい、修行の重要度を教えた言葉です。遠山の目付・観見の目付も参考にします。
<黙想(もくそう)>  空手道で行う黙想は、禅僧が行う結跏趺坐(けっかふざ)をして法界定印(ほうかいていいん)をとる黙想の作法とは異なり、正座のまま法界定印のみをとる黙想を行うものである。一般には拳を足の付根に置いて行います。
<有構無構(ゆうこうむこう)>  構えは、あってないのと同じで心の闘いが最終的には勝敗を決定するものだという意味です。
<理業一致(りぎょういっち)>  理は理合いであり業は技である。剣道を学ぶには理に偏ってはいけないし、技ばかりに片寄ってもよくありません。理と技とを一元的に修練するのが理業一致です。
<礼の意味(れいのいみ)>  字の意味は神を祭る際に行う儀礼、ひいて、人の守るべき秩序を表します。空手道における「礼」の意味を、旧字体「禮」が示すように、その人の豊かさを表す作法の意味に取ると、空手道の理念にある人間形成そのものに当たり、礼を身につけることが最も大切ということです。

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