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資料館A 八風吹不動天辺月

資料館A 八風吹不動天辺月

八風吹不動天辺月 雪壓難摧澗底松 (普燈録)

八風吹けども動ぜず、天辺の月 雪壓(お)せども摧(くだ)け難し、澗底(かんてい)の松
風が吹くと地上の草木はすぐにざわざわと揺れ騒ぐ。
天空の雲も風に煽られ、形を変えて流れ去る。
だが天上の月だけは、どんな風が吹こうと動ずることなく、何処吹く風とばかり無心にして輝く。
また、雪が降り積もれば、多くの草木はしおれたり、おしつぶされてしまうが、谷あいの厳しい環境の中で生え育った松は、大雪にもびくともせず緑あざやかにして、また無心に松声を吟じている。
人も、どんな誘惑や扇動にも惑わされず、
また、どんな艱難困苦に会おうとも決して負けることのない強い信念や意思をもって、堪え忍ぶことの大事さを示す言葉である。
八風吹けども動ぜず天辺の月"HAPPU FUKEDOMO DOHZEZU TENPEN NO TUKI"
or white cloud cover it sometimes or really on the moon of middle of the sky. However, moon in itself needs not to be polluted at all thereby. I remain calm and hit light. In the same way as it,It must not be moved a heart by various matters in the world. That is to say have willpower to strongly survive.

「八風吹不動天辺月」
 「八風吹けども 動ぜず 天辺の月」と読み、中国の寒山詩のひとつです。
 私の大好きな詩です。このように在りたいという目標でもあります。
 八風とは、「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」の風を指します。
四風(毀・誉・称・譏)が、世間の評判 で、「風評」という言葉があるように、まさに「風」です。
 「風」とは、人がまっすぐ進もうとするのを妨害し、惑わす風です。
「順風」が吹けば、ときには喜び、ときには舞い上がります。
「逆風」が吹けば、ときには悩み、ときには苦しまなければなりません。
 我々の行く手には、常に表裏一体の「風」が吹いています。
風向きによって、心情が変わり、それが生き方にも影響してくるのです。
 これまで順風だった風向きが、何かを目に見えぬ大きな力によって、逆風に変わることなど当然のようにあるのです。
 よく考えてみれば、心を惑わす風は、外から吹いてくるもので、自分自身から出てくるものではなかったりします。
 この漢詩には、「悪い風は吹き過ぎるままにまかせて、自分を信じて歩き続ける。 どんな風にも動じず、たじろがず、天空の月のような不動心を持て」という意味が込められています。
 理不尽な事、嫉妬、怒り…ストレス社会に生きる私達は、傷つけ合って生きていると言っても過言ではありません。
 誰だって、一度や二度は陰口や陰湿ないじめにあった経験をお持ちでしょう?
誰だって誉められれば嬉しいですし、嫌味を言われたり、いじめられれば屈辱で傷つきます。
苦しい事だけに限らず、楽しい事も慢心を生み、結果として私達の心を動揺させます。
 このような「八つの風」に晒され続け、日々揺さぶられているのが人生です。
 「生きる」とは、まさに毀誉褒貶(きよほうへん)や苦楽という表裏一体の暴風雨の中を歩み続けることと言えるでしょう。
 しっかり心の根を張らず、ふらふら漠然と生きていると、「八風」に吹かれ、心に動揺が生じた際に抑制できず、とんでもない行動を起こしてしまい、悪循環に陥ってしまいます。
 慇懃無礼な誉め言葉、屈辱的な中傷など…様々な風が吹き荒れる中、私達の心が揺れてしまうのは仕方の無いことです。そんな時、いかに心の動揺を抑え、憎しみではなく、前向きな心を保つことができるかが大切ではないでしょうか。
 人生に起こることは、大部分が思うようにいかないものです。それが当たり前です。
思うようにいかないことで揺らぎがあります。そこを楽しむ姿勢が「風流」なのです。
 「動じない心」は、まるで自動車のニュートラル状態のようです。ニュートラル状態があるから、安心して前進もバックもできるのです。
 「禅」は、そのニュートラル状態を認識して、感謝した上で自由自在に動き回るのです。
 だから、「八風」にも喜怒哀楽を素直に示し、感情を出しながらも、動じないのです。
 決して完全無欠の悟りの境地となり、「微動だにするな」ではありません。
 しなやかに「八風」に対処して、「喜怒哀楽」に振れながらも、形状記憶合金のようにニュートラル状態に戻るのです。その姿勢が「風流」なのです。
 だから、予定を立てるときも、あまり細かな計画は立てない。
「成り行き」を大切にする。思うようにいかないことが起こったら、予定を変えればいい。
 計画というのは、そのとき何が起こるかを予定していない「これでいい」と思った過去の残骸なのです。それは、いまのその場の気持ちとは違います。
 計画という過去の残骸に縛られて、いまの気持ちのほうを切り捨てるのは愚かなことです。
 困るということは、「こうするはずだった、こうじゃないといけない」という思いが、そうでなくなっただけのことです。そのとき立ち止まって、「本当のところどうなのか」「そもそも思っていたことなど、それほどたいそうなものだったのか」と、よく検証してみることです。
 何より、人生が思い通りでいけたらつまらないし、予期しない現実の方が、はるかにおもしろい。そういう気持ちでいれば、必ず対応策は出てくるものです。
 思うようにいかなかったら、それは立ち止まるチャンスです。
 立ち止まることで、たくさん本を読む時間ももてるし、周囲もじっくり見ることができます。
そういう時間はまさに賜りものなのです。
 「困った、どうしよう」という事態になったら、そこで立ち止まって、いま自分は何を賜ったのかを探すといいと思います。探し当てたら、それはきっと感謝したくなるようなものなのです。 
 今日も一日、どんな風が吹きつけてこようと決して自分を見失わず、心の根を強く育みながら、「風流」に生きていきたいと思います。
 それが、「押忍」の精神や「極真精神」につながると確信しています。

「八風の戒め」
 四順(利・誉・称・楽。人が求める四つの事)、四違(衰・毀・譏・苦。人が避ける四つの事)からなる、人の心を惑わし、煽り立てる以下の八つの要素。
 一切衆生は四順を愛欲し、四違を忌避しようとするために煩悩に侵されます。  
「利」(うるおい)・・・意にかなうこと。(利益や損得の得と考えるあらゆるもの)
             目先の利欲にとらわれる姿。
「衰」(おとろえ)・・・意に反すること。(損失や左遷や降格)
            老衰や生活に破れた姿。
「毀」(やぶれ)・・・・陰でそしる(悪くいう)事。
             他人に批判されて自己の信念を変えてしまう姿。
「誉」(ほまれ)・・・・陰で賞賛すること。名聞名利にとらわれ、我を忘れた姿。
「称」(たたえ)・・・・人前でほめる事。
             賞賛されて増上漫になり、自分を見失うことをいう。
「譏」(そしり)・・・・人前でそしる(悪くいう)事。
             他人からそしられ、自分を見失うことをいう。
「苦」(くるしみ)・・・心身を悩ませること。人生の苦境に負けてしまった姿。
「楽」(たのしみ)・・・心身を喜ばせること。享楽に負けてしまった姿。


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