haseba
戻る
資料館A 伊達政宗の五常訓
<伊達政宗の五常訓>
仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂いとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。
気ながく心穏やかにして、 この世に客に来たと思えば 何の苦もなし。
朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日行くをおくり、子孫兄弟に良く挨拶して、 娑婆の御暇申すがよし。
伊達政宗(伊達政宗公遺訓)
■伊達政宗:奥州の戦国大名。
陸奥仙台藩の初代藩主奥州の覇者。
父輝宗から家督を継ぐと、またたく間に奥州に威を敷く。
豊臣秀吉、徳川家康の政権下を知略と戦略、外交力で生き抜いた。
その隻眼の容姿と実力から「独眼竜」の名で諸大名に畏敬された。
「仁」「義」「礼」「智」「信」とは儒教で恒常不変の真理の意味を表し、当時の武士の心構えとして、大切なものとされていました。
まず「仁義礼智(知)信」は武士として守るべき心構えです。
仁に過ぐれば弱くなる。
人を大切にし過ぎれば、相手のためになりませんよ >義に過ぐれば固くなる。
正義を振りかざすと融通が利かなくなりますよ >礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。
礼儀正し過ぎると、相手に対する厭味ですよ >智に過ぐれば嘘を吐く 頭が良過ぎると平気で嘘をつきますよ >信に過ぐれば損をする。
他人を信じ過ぎると何かと損をしますよ 政宗はその大切とされている考え方だけに、強くとらわれて生きていくことは、生き方の自由を奪い、窮屈になってしまうと語っています。
そこには、もっと自由に素直に、全てを見渡して、自分に大切な物は何か、気付かなくてはいけない。
そういった、戦国を生き抜いた英傑のありのままの気持ちが語られているようにも思うのです。
私なりに伊達政宗公遺訓を、わかりやすく現代語に訳すと、こんな感じになります。
『人を大切に思うことは大切だが、行き過ぎると他人のためにも、自分のためにもならない。
正義や筋を通すことは大切 だが、そればかりに縛られると、物事に柔軟に対応できず、融通が利かなくなる。
礼を尽くすことは大事だが、礼にばかり気を使うこと、また行き過ぎた礼は相手に対して逆に失礼で厭味になる。
頭でっかちになり、机上の知恵を信じていると、結果として嘘をついたり、策に溺れることになる。
何でもかんでも、他人の言うことを信じ、それに振り回されていると、損をしていまうことがある。
もっと気分を楽に持って、素直になって、穏やかにし、この世にお客さんとして来た気持ちになれば、何も苦しいこともない。
人は生まれることで初めて、この世に生きているのであり、死ぬことでこの世とは別れて、再び旅立つからだ。
つまり、この世にお客さんとして来たことになる。
毎日食べる食事は、粗末であっても、おいしくなくても、感謝の気持ちを持って、ありがたくいただくべきである。
この世にお客さんとして来ているのだから、そもそも文句など言えるはずがない。
間もなく、私はこの世を離れていくが、子や孫や兄弟に「ありがとう。
おまえたちも頑張れよ。
」と声をかけて、旅立っていくのが幸せである。
かなり、はしょって意訳してしまっていますが、この遺訓を語ったころは、彼の人物像、生き方、晩年の気持ちを推察すると、とても落ち着いて、穏やかに過ごされたのではないかと思っています。
この遺訓の意味を、 「何事もほどほどにしなさいね・・・」と解釈されている方もいるようですが、私はむしろ、意味的には、全てが大切であり、一つのことに凝り固まって、信じすぎて自分を見失うな。
生きていくことを自由に穏やかに捉え、生かされている、ということを忘れずに生きていくのだ。
という風に感じています。
偉大な戦国大名の含蓄のある言葉。
心にとどめておきたい言葉の一つです。

Copyright © haseba dojo. All rights reserved